ノミチ編集部

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歴史・文化

道標とは?江戸時代の“道しるべ”!歴史と見どころもご紹介

旅の途中、分かれ道で道に迷ったことはありませんか?現代のような地図アプリも案内板もない頃、道案内の頼りになるのが「道標(どうひょう/みちしるべ)」でした。道標は、分岐点や街道の辻、山道、峠などに設置され、目的地までの方向や距離を知らせて旅人...
歴史・文化

【愛知】常滑街道(とこなめかいどう)とは?分かりやすく解説します

常滑街道とは、鳴海(愛知県名古屋市)と大井(愛知県南知多町)を結ぶ街道です。途中に横須賀(東海市)や常滑(常滑市)、内海(南知多町)などを通ります。東海道の鳴海宿からスタートし、知多半島につながる約62kmの道のり。さまざまな呼ばれ方があり...
街道コラム

ウォーキングツーリズムによる観光振興・地域振興の可能性

昨今、健康志向の高まりやスローな観光・地元旅への関心が高まっています。こうした流れの中で、注目を集めるのが「ウォーキングツーリズムによる観光振興・地域振興」です。本稿では、ウォーキング×観光振興・地域振興をめぐる以下の点を解説していきます。...
宿場町・街道用語解説

「西海道(さいかいどう)」とは? — 九州・離島をむすぶ古代幹線の道

日本の古代国家では、「五畿七道(ごきしちどう)」という仕組みで都と地方を結ぶ幹線道が整備されました。そのうちのひとつが「西海道(さいかいどう)」です。西海道は、九州地方および周辺の島々を統治・結節するための重要な交通路であり、政治・文化・防...
歴史・文化

【5分で分かる!】奈良時代とは?律令国家と仏教文化をわかりやすく解説

奈良時代(ならじだい)は、日本の歴史の中で710年から794年までの約80年間を指します。都が奈良の平城京に置かれたことから「奈良時代」と呼ばれています。この時代は、中国の制度を取り入れた律令国家の仕組みが整い、中央集権的な政治が行われまし...
歴史・文化

駅制(えきせい)とは?古代日本の交通システムをわかりやすく解説

現代の日本には鉄道や高速道路、バスなど、移動のための便利な交通システムがあります。では、古代の日本ではどのように人や情報を運んでいたのでしょうか?その答えのひとつが「駅制(えきせい)」です。律令国家の時代に整えられた交通制度で、中央から地方...
歴史・文化

「駅伝」の由来とは?古代の駅制から箱根駅伝までの歴史を解説

お正月の恒例行事として多くの人が楽しみにしている「箱根駅伝」。今では全国高校駅伝や大学女子駅伝など、数多くの駅伝大会が行われています。ところで、この「駅伝」という言葉にはどのような由来があるのでしょうか?実は、古代日本の交通制度「駅制(えき...
歴史・文化

古代の「北陸道」京都から越後へつながる日本海ルートの歴史

みなさんは「北陸道(ほくりくどう)」という言葉を聞いたことがありますか?現在の北陸地方を走る高速道路や鉄道にも同じ名前がありますが、実はそのルーツは古代の日本にあります。律令国家(りつりょうこっか)ができた7世紀ごろ、日本の中央と地方をつな...
歴史・文化

初代・征夷大将軍「坂上田村麻呂」とは?東北を平定した平安初期の武人

坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)は、平安時代初期に活躍した武人で、日本史上初めて「征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)」に任じられた人物です。史書『日本後記(840年成立)』に「赤ら顔で黄色の髭を蓄え、身の丈1.8メーいレ近く、体重は1...
歴史用語解説

坂上田村麻呂の征夷ルート「東山道」遠征の道筋と伝承の地をたどる

坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)は、平安時代初期に活躍した征夷大将軍であり、蝦夷(えみし)征討の指揮を執った人物です。彼の遠征において重要な役割を果たしたのが、古代の幹線道路である「東山道(とうさんどう)」でした。この記事では、坂上田...
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