伊能忠敬とは?日本地図をつくった偉人をわかりやすく解説

伊能忠敬とは

私たちはGoogle Mapや道路地図などを参考にして出かけたりお店を選んだりしています。こうした今日の生活を支える日本地図を作った偉人、それが伊能忠敬です。

日本地図を作ったことで知られる伊能忠敬ですが、なぜ日本地図を作ったのか?どうやって地図を作ったのか?日本地図を作る前は何をしていたのか?などはあまり知られていません。

そこで本記事では伊能忠敬にまつわる疑問をわかりやすく解説していきます。記事の後半では伊能忠敬ゆかりの地も紹介しているので観光にも役立ててください。

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伊能忠敬とは、どんな人?

伊能忠敬像、伊能忠敬唯一の肖像画:千葉県香取市 伊能忠敬記念館所蔵

伊能忠敬は江戸後期に活躍した測量学者・地理学者です。千葉県出身で日本地図を作る前は村の名主として堤防の建設に尽力したり凶作の時に米を安く売るなど、村人を救済した才覚者でした。

50歳で隠居すると江戸に出て天文学や暦学を学び、1800年に幕府の名を受けて北海道と奥州街道を測量。その後71歳まで日本全国の測量を継続。死後数年後に弟子たちの手によって初めての日本地図が完成させられました。

伊能忠敬の年表-日本地図作成以外にもさまざまな成功を収めた偉人-

伊能忠敬の人生は波瀾万丈です。そこで年表に沿って忠敬の人生を振り返ってみたいと思います。

1745年現在の千葉県(上総国)で生まれる
1762年佐原の酒造家である伊能家の婿養子となる
1781年36歳で村の名主になる
1794年事業を長男に譲り隠居する
1795年50歳で幕府方の江戸に出る。高橋至時に弟子入りし天文学・暦学を学ぶ。
1800年東北・北海道南部を測量
1801年関東・東北東部を測量
1802年東北西部を測量
1803年東海・北陸を測量
1804年東日本の地図が完成、実績が認められ幕府の役人となる
1805年近畿・中国地方を測量
1808年四国を測量
1810年九州を測量
1816年江戸を測量
1818年73歳で死去
1821年幕府天文方や門弟の手により、『大日本沿海輿地全図』が完成

忠敬は1745年に千葉県の小関家に生まれました。10歳までは小関家で祖父母と過ごし、以降は神保家で父と暮らしました。この頃の記録はあまり残っていませんが転々と居を変えながらの幼少期だったようです。

1762年17歳の時、酒造家である伊能家のミチと結婚し伊能家を継ぐことに。伊能家のある佐原村は関東有数の村で、伊能家は経済力が大きく村での発言力も大きかったようです。

当時の佐原村は天候不順等で不作が続き村の財政は危機的状況に。村には当主がいなかったため発言力のある忠敬が率先して改革を実施。

1781年に36歳で名主になると2年後の天明の大飢饉でも優れた村運営を行い、不作対策や貧困対策を実施。彼の活躍により佐原村は死者や大きな損害を出さずに済みました。

財産を築き村人からも尊敬される人物であった忠敬は、40代になると隠居を考え始め独学で勉強を始めます。1794年、家督を長男に譲り無事に隠居すると忠敬はさらに学ぶために江戸へと向かうのでした。

東日本の地図をまとめて幕府に献上したときにつくった控図:千葉県香取市 伊能忠敬記念館所蔵

江戸に出た忠敬は天文学者で暦学者の高橋至時に弟子入り。師匠の至時が1797年に新たな暦「寛政暦」を完成させますが「地球の大きさや緯度が分からなければ正確なものはできない」と不満です。そこで弟子の忠敬は正確な緯度1度を測るために江戸から蝦夷まで測量することにしたのです。

しかし当時はロシアとの関係から簡単に蝦夷地まで行くことはできませんでした。そこで「蝦夷地防備のためには正確な地図が必要です。我々が作るので許可をください」と提案し地図作成の名目で測量許可を得たのでした。こうして忠敬は測量の旅を始め、緯度を測るとともに日本地図の作成を行ったのです。

ノミチちゃん
ノミチちゃん

ノミチちゃんの一言

「商売でも村運営でも成功して隠居後に緯度を測り日本地図を作るために蝦夷まで歩き始めるなんて、すごくアグレッシブな人だったんだね!」

伊能忠敬の測量方法-さまざまな道具を駆使して正確な測量を実現-

地上測量器具、杖先に方位磁石がついた道具:千葉県香取市 伊能忠敬記念館所蔵

気が遠くなるほどの距離を歩いて測った伊能忠敬ですが、一体どのような測量方法を用いて正確な地図を作り上げたのでしょうか?

初めに行った蝦夷(東北・北海道南部方面)の測量では、一定の歩幅であるように訓練し複数人で同じ場所を歩いた歩数の平均値で距離を計算していました。

今からだと考えられないですが、忠敬らはこの方法で1日40kmも測量したといわれています。

量程車:千葉県香取市 伊能忠敬記念館所蔵

忠敬のすごいところは常に新たな方法を試し測量技術をブラッシュアップしたことです。この翌年以降は歩幅による測量ではなく180cm毎に印をつけた縄を用いた測量法にしました。さらに曳いて歩くと量程車と呼ばれる下についている車が回り、距離を表示する数字のついている歯車が回り距離を表示できるものも開発されました。

方法を変えた後も苦労は続きますが、東日本の海岸線測量が終わったタイミングで忠敬は当初の目的の一つであった地球の大きさを求める計算を行います。その結果を御師高橋至時のオランダ天文学書の数値を照らし合わせるとピタリを一致。忠敬らの測量は極めて正確なものであることが実証されました。

最終的に忠敬が歩いた距離は約4万kmにも及びました。

ノミチちゃん
ノミチちゃん

ノミチちゃんの一言

「千葉県香取市にある伊能忠敬記念館に行くと、忠敬が実際に使った測量器具がたくさん展示されているよ!」

伊能忠敬ゆかりの地を紹介-伊能忠敬旧宅・伊能忠敬像・千曲市長楽寺-

伊能忠敬は全国を歩いているのでたくさんのゆかりの地があります。今回はその中でも特にゆかりが深かったり、詳細に記録が残っている3つの場所をご紹介します。

伊能忠敬ゆかりの地1|伊能忠敬旧宅

最初に紹介するのは千葉県香取市にある伊能忠敬旧宅です。国指定史跡に指定されており現在でもきれいな状態で保存されています。

旧宅は市街の中心部を流れる小野川沿いにある建物。小野川に面した店舗、主屋、土蔵とそれらのある敷地が指定されています。

主屋は1793年に48歳の忠敬が自ら設計!して建てました。店舗は、伊能家が醸造業を営んでいたときの倉庫を改造したものといわれています。

伊能忠敬ゆかりの地2|富岡八幡宮の伊能忠敬像

伊能忠敬とは
富岡八幡宮の伊能忠敬像

2ヶ所目に紹介するのは言わずと知れた富岡八幡宮です。富岡八幡宮境内には2001年に伊能忠敬測量200年を記念して設置された伊能忠敬像があります。

なぜ富岡八幡宮に伊能忠敬像があるかというと、1800年閏4月19日に当時55歳の伊能忠敬はこの場所から全国測量の旅に出発したからです。忠敬の日本地図測量の旅は富岡八幡宮から始まったんですね。

伊能忠敬ゆかりの地3|長野県 千曲市長楽寺

千曲市長楽寺
長野県千曲市長楽寺 月見堂観音からの眺め

3箇所目は測量の途中で立ち寄った記録のある場所を紹介します。長野県千曲市にある長楽寺は月見寺として松尾芭蕉など多くの偉人に愛された場所です。

忠敬は昼は測量、夜はその記録と天体観測とほとんど休みなく忙しない測量生活を送っていました。そんな忠敬は第8次測量で飛騨から信州、現在の岐阜県から長野県に入ります。中山道を通り善光寺街道を北に向かったんですね。

その後善光寺を経て北国街道で江戸に戻る途中、この長楽寺に立ち寄りました。忠敬が毎日つけていた測量日誌には次のように記録されています。

「(長楽寺)月見堂へ。登り口に芭蕉塚。姨石・月見堂観音、此の所より山々、千曲川の流れ絶景なり」

長野県千曲市は長楽寺を含む多数の史跡が日本遺産に登録されました。別サイトですが以下の特集ページに千曲市観光について詳しく載っているので、ぜひ長野県を訪れた際は足を運んでみてください。

ノミチちゃん
ノミチちゃん

ノミチちゃんの一言

「ここで紹介した以外にも、北海道函館市の函館山・東京都港区芝公園の伊能忠敬測地遺功表・千葉県香取市佐原公園の伊能忠敬先生の銅像と伊能忠敬記念館・鹿児島県南九州市番所鼻自然公園の伊能忠敬先生絶賛の地など多くのゆかりの地があります。ぜひ訪れてみてくださいね!」

最後に-伊能忠敬とあわせて他の日本史用語・偉人も学ぼう!-

伊能忠敬とは

この記事では伊能忠敬について簡単にわかりやすく解説してきました。ノミチでは他にも日本史で知っておきたい重要単語や歴史について解説しています。ぜひ以下の記事もあわせて読んでみてください。

【あわせて学びたい】「五街道」とは?江戸時代に整備された陸上交通路をかんたんに解説!

【あわせて学びたい】江戸時代の浮世絵師「歌川広重」とは?代表作「東海道五十三次」や葛飾北斎、ゴッホとの関係

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参考資料
・NHK, 伊能忠敬の年表を読み取ろう
京都大学, 京都大学所蔵資料でたどる文学史年表: 伊能忠敬, 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ.
千葉県教育委員会, 伊能忠敬旧宅.
・伊能忠敬記念館, 資料画像提供.
・旅のあれこれ, 伊能忠敬ゆかりの地
・菊沢みか, 2021, 伊能忠敬にまつわる逸話6選!日本中を歩き地図を作った男を知る本も紹介.
ベネッセ教育情報サイト, 伊能忠敬とはいつの時代に何をした人なのか?伊能忠敬がしたこと3つ

この記事を書いた人

ノミチ編集部

ノミチ編集部。2021年3月にプレローンチした古道体験メディア「ノミチ」です。

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