芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)は明治生まれ、東京都出身の文豪です。代表作は『羅生門』『鼻』『河童』など。35歳で睡眠薬を服用して自殺しました。
わたしも大好きな作家さんで思い入れがあり、生家やゆかりの地に足を運んでいます。今回はそんな芥川龍之介の生涯や年表、ゆかりの地をご紹介します。
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芥川龍之介とは?
名前 | 芥川龍之介 |
---|---|
誕生日 | 1892年3月1日 |
生地 | 東京府東京市(東京都中央区・明石町) |
没日 | 1927年7月24日(享年35歳) |
没地 | 東京府・田端(東京都北区・田端) |
埋葬場所 | 東京都豊島区巣鴨、慈眼寺 |
芥川龍之介の生誕地(出身地)は東京都中央区
芥川龍之介の生誕地は、東京都中央区明石町。築地駅の近く、聖路加国際病院のお隣にありました。隅田川も近い、とても良い場所です。明治25(1892)年、この付近には乳牛の牧場があり、その経営者・新原敬三の長男として生まれました。
ただし生後7ヶ月で叔母の家(東京都墨田区)に引き取られます。
▼芥川龍之介生誕の地マップ
芥川龍之介の生涯は?
堀辰雄は『芥川龍之介論――藝術家としての彼を論ず――』の中で芥川龍之介の生まれについてこのように述べていました。
彼は明治二十五年、芝に生れた。
彼の實母は、彼の語るところによれは、狂人だつたといふ事である。彼の短篇「點鬼簿」(大正十五年)にはその實母の肖像が生まなましく描かれてゐる。「點鬼簿」は彼の晩年の暗澹たる諸作品の先驅をなしたものである。彼は非常にひどい神經衰弱の中で、この作品を書いた。彼はこの作品を書きながら、幾度か、その母の「少しも生氣のない、灰色をしてゐる」顏を思ひ浮べた事であらう。彼はその頃よく、神經衰弱のひどい時なぞ、さういふ母から暗示を受けて、「僕も氣狂になるのではないかしら?」と恐怖してゐた位だつた。――彼を生んだ母が、彼の中に、何よりも先に、さういふ暗い影を投げてゐたのである。
彼は生れるとすぐ、母が發狂したため、本所の芥川家に養子となつた。芥川家には、養父、養母(註一)の外に、伯母が一人ゐて、それが特に彼の面倒を見た。彼は後に「家中で顏が一番私に似てゐるのもこの伯母なら、心もちの上で共通點の一番多いのもこの伯母だ。伯母がゐなかつたら、今日のやうな私が出來たかどうかわからない。」と言つてゐる。
芥川龍之介論より引用
芥川龍之介、35歳までの年表
年月日 | 芥川龍之介 |
---|---|
明治5(1892)年 | 誕生→生後7ヶ月で母の実家・芥川家に預けられる |
大正2(1913)年 | 東京帝国大学文科大学英文学科に入学 |
大正4(1915)年 | 処女作『老年』『羅生門』発表、夏目漱石の門下に入る |
大正8(1919)年 | 塚本文と結婚 |
昭和2(1927)年 | 1度の自殺未遂を経て睡眠薬にて自殺 |
芥川龍之介の代表作は?『羅生門』から『歯車』まで
芥川龍之介の作品は教科書にも掲載されている『蜘蛛の糸』や『羅生門』などで馴染み深い方も多いかと思います。彼が世に残した作品は300を超えます。大学在学中に作品を発表し始め、35歳で亡くなるまでの約10年間の中でこれだけの名作を遺しているのです。
その中でも代表作と呼ばれるのは以下の6作品。
▼芥川龍之介の主な作品
- 羅生門(初期)
- 鼻(初期)
- 蜘蛛の糸(中期)
- 地獄変(中期)
- 河童(後期)
- 歯車(後期)
教科書以外の作品にも挑戦したい、という方は上のような作品から読み始めるのはいかがでしょうか。ただし後期の作品は少し暗めなので注意。個人的には『歯車』の鬱々としたテンションと、けれども無駄のない秀逸で美しい文章が好きです。
芥川龍之介ゆかりの地「つるや旅館(長野県軽井沢町)」
芥川龍之介は、何度か軽井沢で夏のバケーションを過ごしています。その時に滞在していたのが旧軽井沢の奥にある軽井沢つるや旅館。創業400年、江戸時代には中山道の旅籠だったそうです。
芥川龍之介ゆかりの地「上高地(長野県松本市)」
芥川龍之介・晩年の代表作『河童』のモデルになった、長野県松本市の上高地。登山の途中で立ち寄った河童橋を過ぎたあたりで河童に出くわした主人公が、河童の世界に迷い込んでいく物語です。
三年前の夏のことです。僕は人並みにリユツク・サツクを背負ひ、あの上高地の温泉宿から穂高山へ登らうとしました。穂高山へ登るのには御承知の通り梓川を溯る外はありません。僕は前に穂高山は勿論、槍ヶ岳にも登つてゐましたから、朝霧の下りた梓川の谷を案内者もつれずに登つて行きました。朝霧下りた梓川の谷を――しかしその霧はいつまでたつても晴れる気色は見えません。のみならず反つて深くなるのです。僕は一時間ばかり歩いた後、一度は上高地の温泉宿へ引き返すことにしようかと思ひました。けれども上高地へ引き返すにしても、兎に角霧の晴れるのを待つた上にしなければなりません。と云つて霧は一刻毎にずんずん深くなるばかりなのです。「ええ、一そ登つてしまへ。」――僕はかう考へましたから、梓川の谷を離れないやうに熊笹の中を分けて行きました。
『河童』より引用
ちなみに芥川龍之介自身も上高地を訪れた際には、上高地温泉ホテルに宿泊しています。
芥川龍之介の生涯とゆかりの地 まとめ
芥川龍之介の生涯とゆかりの地についてご紹介しました。
姉妹サイトの「Skima信州」では芥川龍之介「河童」の舞台!上高地「河童橋」は異世界への入り口?という記事も書いています。実際にゆかりの地に行ってみると、作品をより深く楽しめるようになるかもしれません。
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