天守も高石垣もない――けれど「日本100名城」に選ばれている不思議な史跡、それが足利氏館(あしかがしやかた)です。
栃木県足利市に残るこの史跡は、室町幕府を開いた足利尊氏を生んだ足利氏の本拠地として知られ、現在は「鑁阿寺(ばんなじ)」という寺院として保存されています。
戦国時代の城郭とはまったく異なる姿から見えてくるのは、中世武士のリアルな暮らしと権力のかたち。
この記事では、足利氏館が日本100名城に選ばれた理由と、その歴史的価値、見どころをわかりやすく解説します。
足利氏館とは?|日本100名城に選ばれた理由
足利氏館の基本情報
足利氏館は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて築かれた中世武士の居館跡です。
築いたのは、清和源氏の流れをくむ武士・足利義兼(あしかが よしかね)。この地は、その後何代にもわたり足利氏の本拠地として機能しました。
現在、館の中心部には足利氏ゆかりの寺院である鑁阿寺が建ち、史跡全体が国の指定史跡「足利氏館跡」として保存されています。
なぜ“城”ではなく“館”なのか
足利氏館が築かれたのは、戦国時代よりもはるか以前。この時代の武士の拠点は、天守を備えた「城」ではなく、方形の区画を土塁と堀で囲んだ館が主流でした。
足利氏館も同様に、
- 四方をぐるりと囲む堀
- 内側に土塁を築いた防御構造
を備えています。
後世の城郭と比べると簡素に見えますが、中世武士の権力拠点を今に伝える極めて貴重な遺構であることが、日本100名城に選ばれた最大の理由です。
ほかに山梨県の「武田氏館跡(躑躅が崎館跡)」も日本100名城ですね。
足利氏館の歴史|足利尊氏と足利氏発祥の地
足利氏のルーツと坂東武士
足利氏は、源義家を祖とする清和源氏の名門武士です。
鎌倉時代、足利氏は関東に勢力を張る「坂東武士」の有力一族として台頭し、この足利氏館を政治・軍事の拠点としていました。
足利尊氏との関係
室町幕府初代将軍・足利尊氏は足利氏の一員ですが、尊氏がこの館で生まれたと断定できる史料はありません。
ただし、足利氏館が足利一族の象徴的な本拠地であったことは確かで、尊氏の権威の背景には、この地で培われた名門意識と武士団の力がありました。
鎌倉幕府滅亡後、尊氏が新たな政権を打ち立てることができた背景を考えるうえでも、足利氏館は欠かせない場所です。
足利氏館の見どころ
方形の縄張りと堀・土塁

足利氏館最大の見どころは、ほぼ完全な形で残る方形の区画です。
堀に沿って歩くことで、館全体のスケール感や防御構造を体感できます。天守や高石垣はありませんが、「守るための知恵」が詰まった中世武士の館として、他の城とは異なる魅力があります。
鑁阿寺本堂と中世寺院建築

館の中心に建つ鑁阿寺本堂は、国宝にも指定されている貴重な建築物です。
武家の館と寺院が一体となった構造は、武士と仏教が密接に結びついていた中世ならではの姿を伝えています。

日本100名城スタンプ・御城印情報
日本100名城スタンプはどこで押せる?
足利氏館の日本100名城スタンプは、鑁阿寺本堂の寺務所(お守り売場)に設置されています。
参拝時間内に押印可能ですが、行事や天候などで設置場所や対応時間が変更される場合があるため、訪問前の確認がおすすめです。
足利氏館の御城印

足利氏館では、御城印も入手可能です。鑁阿寺の御朱印とは別扱いとなるため、目的に応じて間違えないよう注意しましょう。

アクセス・見学情報
アクセス
- JR両毛線「足利駅」から徒歩約10分
- 東武伊勢崎線「足利市駅」から徒歩約15分
市街地に位置しており、公共交通機関でも訪れやすい史跡です。
駐車場は境内裏側にスペースがありますが、満車の場合は周辺の「鑁阿寺駐車場」を探して停める必要があります。
わたしが訪れた日はちょうどイベントが開催されており、駐車場待ちで渋滞していました。
見学時の注意点
足利氏館は、現在も鑁阿寺として機能する寺院です。参拝マナーを守り、法要や行事の際には見学できないエリアがある点に注意しましょう。
まとめ|足利氏館は“武士の原点”が見える日本100名城
足利氏の原点である「足利氏館」を紹介しました。
栃木県で唯一の日本100名城です。ほかに続日本100名城の「唐沢山城」もありますが、ほかに宇都宮氏の拠点だった「宇都宮城」をはじめ、栃木県には貴重で見学すべき名城跡がたくさん残っていると思います。
機会があればぜひ訪れてみてください。
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