本陣とは?江戸時代の宿泊施設の意味と役割を分かりやすく解説

歌川広重『東海道五十三次』内:関宿「本陣早立」三重県亀山市

江戸時代、日本全国に広がった宿場町には「本陣(ほんじん)」という特別な宿泊施設がありました。

本陣は一般の宿泊所とは異なり、武士や幕府の役人など、身分の高い人々のために設けられた特別な宿です。

この記事では、江戸時代の交通と宿場町、本陣が果たした重要な役割やその特徴について、初心者向けにわかりやすく解説していきます。

江戸時代の宿場町と本陣の魅力

江戸時代は、各地をつなぐ「五街道」と呼ばれる主要な街道が整備され、旅のための拠点として宿場町が発展しました。

宿場町は、旅人の休息場所や食事、宿泊を提供する場所として、また物資の輸送拠点としても大切な役割を果たしていました。

中でも「本陣」は、宿場町における特別な宿泊施設として重要な存在でした。

武士や役人、大名などが宿泊するための施設であるため、他の宿泊施設に比べて格式が高く、設備も豪華でした。本陣は宿場町の中心的な存在として、時に重要な会議や儀式の場としても利用されていたのです。

本陣とは何か?歴史的背景と基本情報

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本陣は、高位の武士や役人、場合によっては大名が宿泊するために用意された特別な施設です。

江戸時代は参勤交代制度があり、全国の大名が定期的に江戸へ出向く必要がありました。このため、各街道の宿場町には大名が安全に宿泊できる施設が求められていたのです。

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本陣は、主に地元の名家や裕福な商人の家が務めることが多く、宿場町の中でも目立つ場所に位置していました。大名や役人が利用する際には、その宿泊が安全に行えるよう、宿場町の人々が協力し、準備を整えていたとされています。

一般の旅人は利用することができなかったため、江戸時代の一般の人々にとっても「本陣」は憧れの存在であり、身分の高い人々の専用施設であることが一目でわかるような場所でした。

本陣の宿泊費用は?「お気持ち」文化の弊害

本陣では宿泊者から謝礼としてお金が支払われていましたが、これは宿泊費用というよりも「お礼」という性質が強く、必ずしも十分な金額ではありませんでした。このため、本陣を務める家には特別な特権が与えられました。例えば、名字の使用や帯刀が許可され、門や玄関、上段の間など格式のある設備を設けることも認められました。こうした特権は名誉なものとして歓迎される一方、運営には多くの出費が必要であり、それが原因で経済的に苦しくなる家も少なくありませんでした。

特に江戸時代後期になると、藩の財政が悪化し、謝礼が減額されるケースが増えました。また、本業である商業や農業も不振に陥り、経営が立ち行かなくなった家もありました。その結果、本陣を務めていた家が破産し、他の家に役目が引き継がれることも少なくなかったのです。

本陣の関札とは?宿泊者の名前を掲げていた

歌川広重『東海道五十三次』内:関宿「本陣早立」三重県亀山市
歌川広重『東海道五十三次』内:関宿「本陣早立」三重県亀山市

本陣の「関札(せきふだ)」とは、江戸時代に本陣に泊まる大名や役人が到着時に提出した札のことです。この関札には、宿泊する人の身分や役職、人数、到着日時、行先などが記されていました。本陣側はこの関札をもとに宿泊者を受け入れ、部屋や食事、警護など必要な準備を整えたのです。

関札は、本陣にとって宿泊者の身分や待遇を決定するための重要な情報源でした。また、関札の提出には宿場町の治安維持や監視の役割もあり、当時の旅行者管理の一環として機能していたと言えます。

本陣の特徴:旅籠や木賃宿との違い

名称泊まる人食事
本陣(ほんじん)大名/公家/幕府の役人あり
旅籠(はたご)庶民(宿泊費は木賃宿の5倍以上)あり
木賃宿(きちんやど)庶民なし(米を持参し、薪代を払って米を炊く)

本陣の建物は、一般の旅人が泊まる「旅籠(はたご)」や「木賃宿(きちんやど)」に比べ、より広く、豪華な造りとなっていました。例えば、本陣には大広間や接待のための部屋、時には庭園なども備えられており、利用者にふさわしい特別な空間が提供されていました。さらに、警護のための部屋や、役人の控室も設けられ、単なる宿泊施設を超えた機能を持っていました。

また本陣は武士や役人にとって重要な情報交換の場でもありました。江戸時代の交通が限られた中で、本陣は「人や情報が集まる場所」としての役割も果たしていたのです。

江戸時代の宿泊文化を知るためには、この本陣の存在が欠かせません。本陣は、宿場町における最も格式の高い施設であり、そこに宿泊することは一種のステータスでもありました。

脇本陣と本陣の違い

福島県白河市の白河宿
白河宿の脇本陣「蔵座敷」

本陣の他にも、宿場町には「脇本陣(わきほんじん)」という施設がありました。

脇本陣は、本陣が満員だったり、多くの高位の人々が同時に宿泊する必要がある場合に、本陣の代わりや補助として利用されました。

脇本陣も、一般の旅人には利用できない格式ある施設でしたが、設備は本陣ほど豪華ではなく、あくまでサポートの役割を果たしていました。このように、本陣と脇本陣は互いに補完し合いながら、江戸時代の交通と宿泊の安全を守る重要な施設として存在していたのです。

現存する本陣の名所とその観光情報

長野県下諏訪町(甲州街道・中山道・鎌倉街道)
下諏訪宿 本陣跡

現在でも、一部の宿場町には本陣の跡地や保存された建物が残っており、見学が可能です。

有名なものでは、長野県の奈良井宿にある「奈良井宿本陣」や、滋賀県の草津宿にある「草津宿本陣」などがあります。これらの場所では、江戸時代の本陣の造りや雰囲気を実際に体験することができます。

奈良井宿の本陣は、木造建築の美しさと江戸時代の建物の特徴をそのままに残しており、江戸時代の宿場町の雰囲気を感じることができます。

また草津宿の本陣は、江戸時代の生活様式や本陣の役割について学ぶことができる施設として人気です。こうした施設は、歴史に触れたい人々や観光客にとって、魅力的な観光スポットとなっています。

まとめ:本陣の意義と現代の宿場町観光の魅力

本陣は、江戸時代の宿場町において大切な役割を果たした宿泊施設でした。現代に残る本陣跡地を訪れることで、当時の人々の生活や旅の様子を感じることができ、歴史や文化を身近に感じることができます。

現代の宿場町巡りは、ただの観光ではなく、歴史や文化への理解を深める貴重な体験です。江戸時代の人々が夢見た旅のロマンに触れながら、現代の旅をより豊かにするために、本陣の歴史をぜひ学んでみてください。

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この記事を書いた人

YAMAMOTO Maaya

古道体験メディア「ノミチ」代表。長野県の観光WEBメディア「Skima信州」代表、全国の御朱印と神社仏閣紹介ブログ「ごしゅメモ」運営。道祖神石造物狛犬宿場街道滝ダムため池棚田神社仏閣好きな平成生まれの魚。

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