「五畿七道(ごきしちどう)」の歴史と役割とは?古代日本の行政区分を探る

歴史・文化
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日本の歴史において、五畿七道は行政や交通の重要な基盤として機能していました。

五畿七道は、奈良時代に確立された行政区分であり、交通網としても整備されたもので、現在の日本の都道府県のルーツにもつながっています。

本記事では、五畿七道の概要、その役割、歴史的背景について解説し、初心者でも分かりやすく理解できる内容にしています。

五畿七道とは?基本の定義

五畿七道は、奈良時代に整備された古代日本の行政区分および交通網のことです。

「五畿(ごき)」は、都を中心とした5つの近畿地方の国々を指し、「七道(しちどう)」は、日本列島全体を網羅する7つの広域的な道(地域)を意味します。これらの道は、単なる交通網としてではなく、地方統治や税の徴収など、行政の効率化のためにも重要な役割を果たしていました。

明治時代には北海道が加わり、八道となっています。

五畿七道の歴史的背景

五畿七道は、8世紀の律令制度の下で確立されました。

律令制度は、中国の唐朝の制度を模範にしたもので、日本の中央集権国家を支えるための法体系です。その一環として、地方を効率的に管理するために、五畿七道という区分が設けられました。この制度は、地方からの税収や兵士の徴発を効率化するために不可欠でした。

律令制と交通網の発展

五畿七道は、律令制度の行政区分であると同時に、重要な交通網でもありました。

各地域を結ぶ主要な道路網が整備され、これにより都と地方をつなぐ物流や情報伝達が飛躍的に改善されました。これが、日本における交通と通信の発展に大きく寄与したと言われています。

政治的な役割

五畿七道は、地方の統治を容易にするために作られました。

これにより、地方の国々は都からの命令や法律を迅速に受け取ることができ、中央集権体制が強化されました。軍事的な意味でも、五畿七道は地方の反乱や侵略に対する防衛線としての役割を果たしました。

五畿七道の国名

五畿七道の国名
国名国名読み略号略号読み現在の都道府県名
【 (五)畿内 】
山城やましろ城州じょうしゅう京都府-南部
大和やまと和州わしゅう奈良県
摂津せっつ摂州せっしゅう大阪府-北西部・兵庫県-南東部
河内かわち河州かしゅう大阪府-東部
和泉いずみ泉州せんしゅう大阪府-南西部
【 東山道 】
近江おうみ江州ごうしゅう滋賀県
美濃みの濃州のうしゅう岐阜県-南部
飛騨ひだ飛州ひしゅう岐阜県-北部
信濃しなの信州しんしゅう長野県
上野こうずけ上州じょうしゅう群馬県
下野しもつけ野州やしゅう栃木県
陸奥むつ奥州おうしゅう青森県・岩手県・宮城県・福島県
出羽でわ羽州うしゅう秋田県・山形県
【 北陸道 】
若狭わかさ若州じゃくしゅう福井県-南部
越前えちぜん越州えっしゅう福井県-北部
加賀かが加州かしゅう石川県-南部
能登のと能州のうしゅう石川県-北部
越中えっちゅう越州えっしゅう富山県
越後えちご越州えっしゅう新潟県-佐渡島を除く
佐渡さど佐州さしゅう新潟-佐渡島
【 東海道 】
伊賀いが伊州いしゅう三重県-中西部
伊勢いせ勢州せしゅう三重県-北部・中部
志摩しま志州ししゅう三重県-志摩半島
尾張おわり尾州びしゅう愛知県-西部
三河みかわ三州さんしゅう愛知県-東部
遠江とおとうみ遠州えんしゅう静岡県-西部
駿河するが駿州すんしゅう静岡県-中部
伊豆いず豆州ずしゅう静岡県-伊豆半島
甲斐かい甲州こうしゅう山梨県
相模さがみ相州そうしゅう神奈川県-中部・西部
武蔵むさし武州ぶしゅう埼玉県・東京都・神奈川県-東部
安房あわ房州ぼうしゅう千葉県-南部
上総かずさ総州そうしゅう千葉県-中部
下総しもうさ総州そうしゅう千葉県-北部・茨城県-西部
常陸ひたち常州じょうしゅう茨城県-中部・東部
【 南海道 】
紀伊きい紀州きしゅう和歌山県・三重県-南部
淡路あわじ淡州たんしゅう兵庫県-淡路島
阿波あわ阿州あしゅう徳島県
讃岐さぬき讃州さんしゅう香川県
伊予いよ予州よしゅう愛媛県
土佐とさ土州としゅう高知県
【 山陽道 】
播磨はりま播州ばんしゅう兵庫県-南西部
備前びぜん備州びしゅう岡山県-南東部
備中びっちゅう備州びしゅう岡山県-西部
美作みまさか作州さくしゅう岡山県-北部
備後びんご備州びしゅう広島県-東部
安芸あき芸州げいしゅう広島県-西部
周防すおう防州ぼうしゅう山口県-東部
長門ながと長州ちょうしゅう山口県-北西部
【 山陰道 】
丹後たんご丹州たんしゅう京都府-北部
丹波たんば丹州たんしゅう京都府-中部・兵庫県-中東部
但馬たじま但州たんしゅう兵庫県-北部
因幡いなば因州いんしゅう鳥取県-東部
伯耆ほうき伯州はくしゅう鳥取県-西部
出雲いずも雲州うんしゅう島根県-東部
石見いわみ石州せきしゅう島根県-西部
隠岐おき因州いんしゅう島根県-隠岐
【 西海道 】
筑前ちくぜん筑州ちくしゅう福岡県-北西部
筑後ちくご筑州ちくしゅう福岡県-南部
肥前ひぜん肥州ひしゅう佐賀県・長崎県
肥後ひご肥州ひしゅう熊本県
豊前ぶぜん豊州ほうしゅう福岡県-東部・大分県-北部
豊後ぶんご豊州ほうしゅう大分県-中南部
日向ひゅうが日州にっしゅう宮崎県
大隅おおすみ隅州ぐうしゅう鹿児島県-東部・島嶼部
薩摩さつま薩州さっしゅう鹿児島県-西部
対馬つしま対州たいしゅう長崎県-対馬
壱岐いき壱州いっしゅう長崎県-壱岐
【 その他 】
蝦夷えぞ北海道
琉球りゅうきゅう沖縄県
【 明治以降に新設 】
磐城いわき磐州ばんしゅう福島県-東部・宮城県-南部
岩代いわしろ岩州がんしゅう福島県-西部
陸前りくぜん陸州りくしゅう宮城県・岩手県-気仙郡
陸中りくちゅう陸州りくしゅう岩手県・秋田県-鹿角郡
陸奥むつ陸州りくしゅう青森県・岩手県-二戸郡
羽前うぜん羽州うしゅう山形県
羽後うご羽州うしゅう秋田県・山形県-北部

五畿(ごき)とは?都から近い「首都圏」を意味する

五畿は、大和国(現在の奈良県)を中心とした5つの近畿地方の国々です。

五畿とは、山城国(京都)河内国(大阪東部)摂津国(大阪西部・兵庫)和泉国(大阪南部)大和国です。

これらの地域は、古代日本の政治や文化の中心地であり、朝廷が直接統治する重要な地域でした。これにより、五畿は経済的にも政治的にも他の地域に対して優位に立ちました。

「畿(き)」とは都の周辺地域を指し、「畿内」とは都の周辺地域のエリア内という意味です。今で言う「首都圏エリア」に近いニュアンスでしょうか。

ノミチちゃん
ノミチちゃん

現在でも使われる「近畿」とは、畿内とその周辺の地域っていう意味なんだよ!大阪府・兵庫県・京都府・奈良県・三重県・和歌山県・滋賀県の2府5県を指すよ。

七道(しちどう)とは?道は「行政区分」を表す

七道は、日本全国を7つの道(どう)に分けた行政区分です。それぞれの道は、地方行政や交通網として機能しました。

  • 東海道: 日本で最も有名な街道のひとつで、現在の東京から京都に至る道。古代から中世にかけて、経済と文化の中心でした。
  • 東山道: 内陸部を通る道で、東日本と中央を結ぶ重要なルート。
  • 北陸道: 現在の日本海側を通る街道で、交易や海産物の流通において重要でした。
  • 山陰道: 日本海側を走る道で、主に中国地方を縦断しています。
  • 山陽道: 中国地方の瀬戸内海側を通り、都と九州を結ぶ主要な道。
  • 南海道: 四国地方を含む道で、島嶼部を結んでいます。
  • 西海道: 九州地方を結び、中国大陸や朝鮮半島との交易の玄関口でした。

東海道(とうかいどう)

古代東海道マップ

東海道は日本で最も有名な街道の一つで、現在の東京(江戸)から京都まで続く主要路線です。

古代から中世にかけて政治や経済の中心地を結び、物流や文化交流の要所となりました。江戸時代には五街道の筆頭として参勤交代などにも利用されました。

東山道(とうさんどう)

東山道マップ

東山道は内陸部を縦断し、東日本の太平洋側から中央部を結ぶ重要な古代街道です。奈良時代には都から東北地方への交通路として整備され、軍事や税の輸送に使われました。険しい山間を通るため後の中山道の基となりました。

北陸道(ほくりくどう)

北陸道は日本海側を通る街道で、北陸地方の港湾都市を結びます。

海産物や塩などの交易が盛んで、物流の要として地域経済を支えました。冬の積雪も多く、厳しい気候を越えて人や物資が行き交った歴史的路線です。

山陰道(さんいんどう)

山陰道は日本海沿岸の中国地方を縦断する古代街道です。

漁業や農業が盛んな地域を結び、内陸と海岸部の物流や文化交流に重要な役割を果たしました。現在の鳥取県や島根県などを通り、歴史的な宿場町も点在しています。

山陽道(さんようどう)

山陽道は中国地方の瀬戸内海側を通り、古代より都と九州を結ぶ主要な交通路でした。

温暖な気候と穏やかな海に囲まれ、船運と陸路の両面で発展。後の交通網の基盤となり、商業と文化の交流が盛んに行われました。

南海道(なんかいどう)

南海道は四国地方を中心に島嶼部を結ぶ古代の街道です。

四国四県を縦断し、山間部と沿岸地域をつなぎます。地域独自の文化や産業の発展を支え、祭礼や宗教活動の交通路としても重要でした。

西海道(せいかいどう)

西海道は九州地方を結び、古代から中国大陸や朝鮮半島との交易の玄関口でした。

港湾都市を中心に海路と陸路が整備され、多様な文化や技術が伝わりました。外交や貿易の要として日本の国際交流の基盤となりました。

五畿七道の交通網と軍事的役割

五畿七道は、単なる行政区分に留まらず、軍事的にも重要でした。

都から地方に派遣された官吏や兵士が、迅速に移動できるように整備された道は、反乱鎮圧や外敵の防御に役立ちました。また、五畿七道の交通網は地方への統治が効率的に行われるように設計され、税収の安定にも寄与しました。

五畿七道とは?まとめ

五畿七道は、古代日本の行政や交通の基盤として、奈良時代から続く重要なシステムでした。

五畿七道の歴史を学ぶことで、日本の交通や行政の発展を理解できるだけでなく、現代にも続くその影響を実感できるでしょう。

ぜひ、この古代の交通網に思いを馳せながら、日本の歴史に触れてみてください。

▼宿場街道のノミチ記事はこちら

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