宇都宮駅から徒歩圏内、市街地の中にぽっかりと広がるのが「宇都宮城跡(宇都宮城址公園)」です。
宇都宮城は日本100名城には選ばれていませんが、かつては「関東七名城」のひとつに数えられた要衝で、下野国の政治・軍事の中心として長い歴史を歩んできました。
現在は、江戸時代の本丸西側を中心に一部が復元され、白壁の櫓と土塁が印象的な城址公園として整備されています。
歴史ファンはもちろん、散策やライトアップ目当ての観光にもおすすめできる、街と一体になった城跡です。
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宇都宮城跡とは?|街の中心に残る平城遺跡

宇都宮城は、平安時代末期に下野国の有力豪族である宇都宮氏によって築かれたと伝わる平城です。中世には、宇都宮氏の本拠として栄え、関東地方北部の要地を押さえる重要な城でした。
日光街道と奥州街道の追分に位置していることから、古くから交通の要衝として知られています。
構造は、曲輪を外側から囲む輪郭式と、城の中心部を段階的に守る梯郭式の特徴をあわせ持つとされ、堀と土塁を主体とした防御が特徴です。
近代まで城として使用されましたが、幕末の戊辰戦争で大きな被害を受け、明治以降は建物の多くが失われました。現在の宇都宮城址公園は、発掘調査や史料をもとに、本丸西側の一部を復元したものです。
宇都宮城跡の御城印について

宇都宮城跡では、城跡訪問の記念として御城印を入手することができます。御城印は、資料展示施設「清明館」の中で販売していますよ。
宇都宮城の御城印には、城名やゆかりの家紋、宇都宮城を象徴する櫓などがデザインされており、シンプルながらも城の歴史を感じられる内容になっています。
宇都宮城の歴史|関東七名城と宿城の役割
関東七名城のひとつ

戦国時代、宇都宮城は下野国最大級の城として知られ、忍城、金山城、川越城などと並び「関東七名城」のひとつに数えられました。
北関東を押さえる戦略的な立地から、多くの戦国大名がこの地に関心を寄せ、城主も時代ごとに移り変わっていきます。
江戸時代の日光社参と宇都宮城

江戸時代に入ると、宇都宮城は江戸幕府にとっても重要な城となります。
徳川将軍が日光東照宮へ参拝する日光社参の際の宿城として整備され、本丸には将軍のための御殿が設けられるなど、格式の高い城となりました。
この時代に城下町も整えられ、現在の宇都宮の市街地の基礎が作られたといわれています。
廃城から復元へ
幕末の戊辰戦争では、宇都宮周辺が激戦地となり、城下とともに宇都宮城も大きな被害を受けました。
その後、城は廃され、一時は城の痕跡がわかりにくい状態になりましたが、平成に入ってから本格的な調査と整備が進み、現在の宇都宮城址公園として復元・公開されています。
宇都宮城跡の見どころ
清明台櫓と富士見櫓(復元)

宇都宮城址公園の象徴ともいえるのが、白壁が美しい清明台櫓と富士見櫓です。
どちらも江戸時代の史料を参考に復元された建物で、かつて城の北西部を守る重要な櫓でした。規模は大きくありませんが、街なかで城の姿を実感できる貴重な存在です。
土塁と堀がつくる城の輪郭

園内には、本丸を囲んでいた土塁と堀の一部が復元されています。石垣ではなく土を主体とした構造は、平城らしい防御のかたちを伝えています。
土塁の上は遊歩道として整備されており、当時の城の広さや守りの工夫を体感しながら歩くことができます。
歴史を学べる「清明館」
園内には、宇都宮城の歴史や発掘調査の成果を紹介する資料展示施設「清明館」があります。
城の変遷や城下町の成り立ちがわかりやすくまとめられており、見学前後に立ち寄ると理解がぐっと深まります。
宇都宮城跡の歩き方|気軽に楽しめる街なか城跡

宇都宮城跡は、山城のような登山は必要なく、散策感覚で気軽に歩けるのが魅力です。
・外堀周辺から城全体を眺める
・土塁の上を歩いて櫓へ向かう
・資料館で歴史を学ぶ
・ベンチや芝生でひと休み
といった流れで、30分〜1時間ほどでも十分に満足できます。
アクセスと基本情報
所在地
栃木県宇都宮市本丸町
アクセス
JR宇都宮駅から徒歩約20分
東武宇都宮駅から徒歩約10分
バス利用も可能
開園時間
公園は終日開放
復元建物・展示施設は時間指定あり(季節・イベントにより変動)
所要時間の目安
30分〜1時間半程度
まとめ|宇都宮城跡は「暮らしの中にある城」

宇都宮城跡は、派手な天守や石垣こそありませんが、
・関東七名城に数えられた歴史
・日光社参を支えた宿城としての役割
・街の中心に溶け込む城跡公園
といった、他の城跡にはない魅力を持っています。
観光の合間に、ふらっと立ち寄れる城。そして、宇都宮という街の成り立ちを感じられる場所。
餃子の名店巡りとあわせて、ぜひ宇都宮城跡にも足を運んでみてください。
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