江戸時代の旅の持ち物とは?街道を歩いた旅人の必需品をわかりやすく解説

わらじのイラスト 旅行・体験
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江戸時代は、日本史の中でも庶民の旅が広く普及した時代として知られています。

伊勢参りや金毘羅参りといった信仰の旅をはじめ、名所見物や街道歩きなど、さまざまな目的で人々が各地を訪れるようになりました。

ただし移動手段の中心は徒歩です。現代のように交通機関や宅配サービスがあるわけではなく、旅人は必要な持ち物をすべて自分で携え、街道を歩いて移動していました。だからこそ、江戸時代の旅の持ち物には、当時の生活や知恵、価値観が色濃く反映されています。

この記事では、江戸時代の旅人がどのような持ち物を用意していたのかを整理しながら、その背景や理由を街道旅の視点から解説します。

江戸時代の旅はどんなものだったのか

江戸時代の旅は、1日に歩く距離はおよそ30〜40kmだったとされています。宿場町から次の宿場町へ移動し、日没前に宿へ入るのが理想とされていました。

このような旅を支えたのが、東海道や中山道といった街道網です。

街道沿いには宿屋や茶屋、草鞋屋などがありましたが、必ずしもすべての物資が常に手に入るわけではありません。そのため旅人は、最低限必要な持ち物を自ら判断し、無駄を省いた装備で旅に出る必要がありました。江戸時代の旅は、軽装であることが前提だったといえます。

江戸時代の旅人が必ず持っていた基本の持ち物

草鞋(わらじ)

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草鞋は江戸時代の旅に欠かせない履物です。

舗装されていない道を長距離歩くため、草鞋は消耗品として扱われていました。そのため旅人は、あらかじめ替えの草鞋を数足持参するのが一般的でした。宿場町や村では草鞋を購入したり、編み直してもらったりすることもできたとされています。

脚絆(きゃはん)

脚絆は、ふくらはぎを覆って固定する布製の装備で、泥や小石から足を守る役割がありました。

長時間の歩行による疲労を軽減する効果もあり、旅人にとって重要な装備の一つです。現代の古道歩きでも、脚部を保護する装備は重視されており、熊野古道のような山道を歩く際にも同様の考え方が見られます。

笠(編笠・菅笠)

笠は雨除けや日除けとして用いられ、天候の変わりやすい街道では欠かせない存在でした。傘のように手を塞がない点も、徒歩旅に適していた理由の一つです。旅の目的や身分によって笠の形状が異なる場合もあり、旅人の姿を象徴する装備といえます。

合羽

江戸時代の合羽は、油紙や藁などを用いた防水性のある衣類で、雨天時の体温低下を防ぐ役割を果たしました。現代のレインウェアほどの性能はありませんが、防寒具としても使われる重要な持ち物でした。

ちなみに江戸時代にはすでに「傘」があったものの、武士以上の身分の者しか傘を刺すことが許されていませんでした。故に庶民はいつでも「笠」か「合羽」で雨をしのいでいたのです。

手拭い

手拭いは、汗拭きや物を包む用途に加え、怪我をした際の応急処置にも使われる万能な道具でした。軽量でかさばらず、多用途に使える点が旅人に重宝された理由です。

お金と身分を守るための持ち物

銭・小判

旅の費用は、銭や小判といった現金で支払いました。

盗難や紛失に備え、現金は一か所にまとめず、複数に分けて携帯する工夫がされていたといわれています。宿代や食事代、草鞋の買い替えなど、旅の途中では細かな出費が重なりました。

印籠

印籠は、もともと薬を入れるための容器ですが、旅の際には貴重品を携帯する道具としても使われました。腰から提げて持ち運べる点が、徒歩の旅に適していたと考えられています。

往来手形

通行手形

往来手形は、関所を通過するために必要な身分証明書です。とくに江戸への出入りや、主要な関所を通る際には重要な役割を果たしました。箱根関所で知られる箱根街道は、こうした関所制度と深く結びついた街道の一つです。

旅の安全と精神的支えになる持ち物

護符・お守り

旅は病気や事故のリスクを伴うものでした。そのため、多くの旅人が寺社で授かった護符やお守りを携え、安全を祈願していたとされています。江戸時代の旅は、信仰と密接に結びついていました。

常備薬

腹痛や発熱、怪我に備え、簡単な薬を持ち歩く旅人もいました。江戸時代には行商の薬売りも存在し、旅先で薬を補充できる場合もありました。

旅日記・道中記

旅の行程や出来事を記録するため、旅日記や道中記をつける人もいました。これらは個人の記録であると同時に、後に続く旅人の参考情報となることもありました。

巡礼・伊勢参りの旅ならではの持ち物

伊勢参りや巡礼の旅では、通常の旅とは異なる装いが見られました。

白装束は巡礼者であることを示す服装で、宿場町でもその目的が分かりやすかったとされています。金剛杖は歩行補助と信仰の象徴を兼ねた道具で、巡礼者の必需品でした。納札は参拝の証として寺社に納める札で、旅の足跡を残す文化の一つです。

江戸時代の旅人は荷物をどう運んだのか

旅人は背負い袋や風呂敷を使い、荷物を自分で運ぶのが基本でした。

荷物が多い場合には、左右に分けて背負う振分荷物が使われることもあります。宿場町には荷物預かりの仕組みがあり、状況に応じて飛脚を利用するケースもありましたが、基本は自分で背負える量に抑えるのが一般的でした。

江戸時代の旅の持ち物から見える知恵

江戸時代の旅の持ち物には、共通した考え方が見られます。

できるだけ荷物を軽くすること、多用途に使える道具を選ぶこと、旅先で調達できるものは持ちすぎないことです。旅慣れた人ほど、持ち物は合理的で最小限だったと考えられています。

現代の古道歩きと江戸時代の旅はよく似ている

熊野古道や中山道など、現代でも歩ける古道では、雨具や歩きやすい靴、軽装備が重要になります。これは江戸時代の旅人が重視していた考え方と共通しています。たとえば中山道の碓氷峠のような山越えの道では、装備の工夫が欠かせません。

持ちすぎず、歩くことを前提に装備を考えるという点で、江戸の旅と現代の古道歩きは強くつながっています。

まとめ

江戸時代の旅の持ち物は、単なる道具の集合ではなく、徒歩で長距離を移動するための知恵の集積でした。

限られた荷物で街道を歩き、旅そのものを楽しんだ江戸の人々の工夫は、現代の古道旅にも通じるものがあります。江戸時代の旅に思いを馳せながら実際に道を歩いてみることで、街道の魅力はより深く感じられるはずです。

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