松尾芭蕉(まつおばしょう)の有名な俳句といえば、「古池や 蛙飛びこむ 水の音」や「夏草や 兵どもが 夢の跡」などいくつも思い浮かびます。
江戸初期に生まれた松尾芭蕉の俳句は中学・高校の国語で習った方も多いのではないでしょうか。
今回は教科書で1度は目にしたことのある「これだけは覚えておきたい!」松尾芭蕉の俳句を有名順(編集部調べ)に10句ご紹介します。
「意味」は編集部の意訳なので、解釈の仕方は参考程度に読んでね!
▼『おくのほそ道』の解説はこちら!
松尾芭蕉とは?おくのほそ道で有名な江戸初期の俳人
松尾芭蕉は江戸時代初期に生まれた俳人です。代表作に『おくのほそ道』や『野ざらし紀行』などがあります。旅の情緒や歴史の偉人たちへの憧れ、また音や自然に対する表現力などが素晴らしく、江戸時代における「三大俳人」のひとりに数えられています。
松尾芭蕉は1644(正保元)年に伊賀国阿拝郡(現在の三重県)で生まれました。農民ではあったものの名字と帯刀が許された豪農でしたが、12歳で父が亡くなり、その後は貧しい生活を余儀なくされていたようです。
▼詳しくは姉妹サイト「Skima信州」をご参照ください!
松尾芭蕉の俳句①古池や 蛙飛び込む 水の音
松尾芭蕉の俳句といえば、まずはこちらを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
古池や 蛙飛び込む 水の音
ふるいけや かはずとびこむ みずのおと
季語:蛙(春)
意味:古池にカエルが飛び込んだ水の音が聞こえるほど静かだ
カエルが飛び込む音を詠むことで、逆に周りの静けさが伝わる不思議な句だよね!
松尾芭蕉の俳句②夏草や 兵どもが 夢の跡
有名な『おくのほそ道』に登場する一句です。
松尾芭蕉が憧れた奥州(現岩手県平泉町)に訪れた際、かつてこの地で繰り広げられていた戦を覆うように生えた夏草を季語に詠まれました。
夏草や 兵どもが 夢の跡
なつくさや つはものどもが ゆめのあと
季語:夏草
意味:かつて武士たちの戦場であったこの場所も、今は夏草が覆って遠い昔のようだ
兵ども=つはものども=奥州で闘った武士たち
夢の跡=かつて野望を抱いて闘った者たちの面影
松尾芭蕉の俳句③五月雨を 集めて早し 最上川
「五月雨」と聞くと「集めて早し」と続けたくなるほど有名なこの一句。『おくのほそ道』の旅中、山形県酒田市で詠まれました。
五月雨を 集めて早し 最上川
さみだれを あつめてはやし もがみがわ
季語:五月雨(夏)
意味:梅雨の雨が最上川に勢いよく流れ、涼しく感じる
五月雨:梅雨の雨
あつめて早し:支流から最上川に流れ込む様子
最上川:山形県の一級河川
「早し」はもともと「涼し(すずし)」と詠んでいたようで、川の水で涼しさを感じていたみたい。その後最上川で「川下り」を体験した芭蕉は、その勢いを感じて「早し」に修正したのだとか。
松尾芭蕉の俳句④閑さや 岩にしみ入る 蝉の声
同じく『おくのほそ道』に収録された一句。出羽国(現山形県山形市)の立石寺(りっしゃくじ)で詠まれました。
閑さや 岩にしみ入る 蝉の声
しずかさや いわにしみいる せみのこえ
季語:蝉(夏)
意味:蝉の声が岩にしみ入るように、わたしの心にも閑かさがしみ入っている
閑さや=しずかさや
「静か」ではなく「閑か」!実際の音量ではなく、心の落ち着きや雰囲気ののどかさを表した言葉だよ。
松尾芭蕉の俳句⑤秋深き 隣は何を する人ぞ
松尾芭蕉が晩年、大阪の友人宅で病でふせっているときに詠まれた一句。この句を詠んだ翌日に体調が悪化したため、「しっかり起きて詠んだ最後の句」としても有名です。
秋深き 隣は何を する人ぞ
あきふかき となりはなにを するひとぞ
季語:秋深き(晩秋)
意味:秋も深まってきた 隣の人は何をしているのだろうか
この日は芭蕉のために開催された句会があったんだって!「隣」は句会のことを指しているよ。どうしても行きたかった〜!って思いが伝わってくるね。
松尾芭蕉の俳句⑥草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家
こちらも「おくのほそ道」、かつ教科書でも取り上げられる序文に収録されている一句です。長い旅に出る前、自分の家を人に譲り渡した芭蕉は、次に住む家族のことを思い浮かべながら詠んだことが想像できます。
草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家
くさのとも すみかはるよぞ ひなのいえ
季語:雛(春)
意味:このわびしい茅葺の家も住む人が代わる時節となったことだよ。この家にも3月の節句には、華やかにひな人形が飾られる光景が見られることだろう。
草の戸=茅葺の家=河上の破屋=住めるかた→芭蕉の家
雛(ひな)=ひな人形
自分の住んでいた頃の侘しい家(謙遜もあるかな)と、これから住む家族の温かい雰囲気との対比も見えるね!
松尾芭蕉の俳句⑦俤や 姨ひとりなく 月の友
個人的に好きな一句をチョイスしました。『更科紀行』の目的地である信濃国(現長野県)の姨捨山(おばすてやま)の名月を見たときに詠んだ一句。
俤や 姨ひとりなく 月の友
おもかげや うばひとりなく つきのとも
季語:月(秋)
意味:姨捨山の月を見ていると、捨てられて泣いていた老婆の面影を感じる。
なく=泣く・亡く
月の友=月だけが友だち=たったひとり
松尾芭蕉の俳句⑧荒海や 佐渡に横とう 天の川
『おくのほそ道』旅も後半に差し掛かった新潟県で詠まれた一句。1689(元禄2)年7月7日の句会で発表されました。実は芭蕉が新潟にいたとき、終日雨模様だったとのこと。
日本海の荒々しい音を聞いて眠れなかった夜、頭の中で天の川を思い出しながら詠んだと、後々本人が記しています。
荒海や 佐渡に横とう 天の川
あらうみや さどによことう あまのがは
季語:天の川(夏)
意味:激しく波打つ日本海の向こうに見える佐渡島、空には天の川が横たわっている。
横とう=横たわる→擬人法
松尾芭蕉の俳句⑨行く春や 鳥啼き魚の 目は泪
『おくのほそ道』の序文が終わって上野の家から舟で千住にたどり着いた芭蕉が詠んだ一句。鳥が鳴い(泣い)たり、魚が涙したりているといった擬人法を使っています。
行く春や 鳥啼き魚の 目は泪
ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ
季語:行く春(晩春)
意味:過ぎゆく春のように、自分も遠くへ旅立つ。別れの悲しみに鳥も鳴き、魚も涙しているようだ。
啼く(なく)=鳥が泣くときにしか使わない
泣いている鳥や魚は、別れを惜しむ弟子や友人たちを隠喩しているんだって!
松尾芭蕉の俳句⑩花の雲 鐘は上野か 浅草か
1687(貞享4)年に芭蕉の住んでいた江戸深川(現東京都江東区深川)の芭蕉庵で詠まれた一句。芭蕉庵はちょうど上野からも浅草からも3,4km程度離れており、聞こえてくる方向も同じです。
花の雲 鐘は上野か 浅草か
はなのくも かねはうえのか あさくさか
季語:花の雲(春)
意味:まるで雲のような桜並木。聞こえてくる鐘の音は上野の寛永寺か、それとも浅草の浅草寺か。
花=桜のこと
鐘=お寺の鐘
のどかな江戸の春が思い浮かばれるような一句だね!