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「一里塚」とは?歴史や目的、例えを簡単にご紹介

一里塚(いちりづか)とは、室町時代や江戸時代に整備された主要な街道沿いに建てられた塚。

確かな地図がなかった当時、一里塚は重要な役割を果たしていました。

一里塚とは何かについて、目的や役割と一緒にご紹介します。

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一里塚とは?

確かな地図がなかった当時、旅人たちの道標となったのが「一里塚」です。

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一里とは、3.927キロ(約4キロ弱)のことだよ!

ただし寺社や非人の居住地は距離に含まれず、難所は概算だったため、「一里」の距離はまちまちだったとか。

一里塚の歴史は古く、平安時代末期に奥州藤原氏が白河の関〜陸奥湾の間に標識を立てたのが最初だといわれています。

中山道「笠取峠松並木」長野県立科町

江戸時代になると幕府が「五街道」を整備しました。

その街道沿いに、一里ごとに設けられたのが一里塚です。道路の両脇に土が盛られ、その上に榎や松の木が1〜数本植えられました。

今でも松並木が残っていることがありますが、ほとんどは明治期までに荒廃していきました。

一里塚の目的は?

①距離を把握するため

1つ目の目的は距離を把握すること。旅人が歩いている時、一里ごとに標があればどれだけ歩いたか、どこまで歩くかの目安にすることができます。

②休憩場所にするため

2つ目の目的は休憩場所にすること。

並木は木陰にもなるため、旅人が休憩するのにうってつけの場所になるのです。

③運賃を把握するため

3つ目の目的は運賃を把握すること。

馬や駕籠(カゴ)を使って人や荷物を運ぶ際、一里ごとに運賃が定められていました。そのため一里塚は運賃を把握する役割も果たしていたのです。

一里塚のことわざや例え

門松は冥土の旅の一里塚|一休の狂歌

室町時代の一休の狂歌に「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」というものがあります。

人生を旅に例えたとき、年を重ねる度に飾る門松を一里塚に例えています。めでたい門松ではあるけれど、死へ向かっていると考えるとめでたくないともいえますよね。

一里塚とは?まとめ

一里塚とは?をご紹介しました。

たまに街道沿いに見かける「一里塚」の看板や松並木ですが、その役割を知っていると昔の旅人気分が味わえるかもしれませんね。

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