古代から近世にかけて、日本の街道は政治・文化・経済・信仰を支える大動脈として発展してきました。
たとえば奈良時代には、都と地方をつなぐために整備された「七道」があり、その中でも東北へ続く東山道(とうさんどう)は国家の統治を支える軍事・行政の幹線でした。平安時代以降になると、地方武士や僧侶、行商人などが街道を行き交うようになり、各地に文化や信仰が伝わっていきます。
江戸時代には徳川幕府によって「五街道」が整備され、参勤交代や庶民の旅、物資の流通に欠かせない道となりました。
坂上田村麻呂|東山道を北へ進軍した征夷大将軍
平安初期、朝廷から蝦夷(えみし)征討を命じられたのが、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)です。彼は“征夷大将軍”として、京都から東山道を北上し、陸奥・出羽方面へと進軍しました。
田村麻呂は、戦いだけでなく「開拓」や「鎮護」の象徴としても各地で信仰され、福島県の田村神社や岩手県の胆沢城跡など、ゆかりの地が今も残っています。
源義経|奥州へ落ち延びた悲劇の英雄
平安末期の武将、源義経(みなもとのよしつね)もまた、街道にその名を残した人物です。兄・頼朝に追われ、都から北へ逃れた義経は、陸奥へと続く古道を通って奥州・平泉を目指しました。
その道のりは後世、「義経北行伝説」や「判官道(はんがんみち)」として語り継がれています。青森や北海道にまで伝承が残るほど、彼の逃避行は多くの人々の想像力を掻き立てました。街道沿いに立つ「義経伝説地」を訪ねると、旅の途中で感じたであろう孤独と希望を、少しだけ感じられるかもしれません。
松尾芭蕉|『奥の細道』に刻まれた旅の詩人
江戸時代の俳人、松尾芭蕉(まつおばしょう)は、「街道を歩いた詩人」として知られています。
彼の代表作『おくのほそ道』は、まさに古道の旅そのもの。江戸・深川を出発し、白河の関を越え、松島や平泉、越後、敦賀へと旅を続けました。
芭蕉が歩いた道の多くは、今も「芭蕉の道」として残っています。白河の関跡や須賀川の芭蕉庵跡などを訪ねると、彼が詠んだ一句一句が風景と重なり合い、まるで時を超えて旅をしているような感覚になります。
木曽義仲|中山道を駆け抜けた武将
源平合戦の英雄、木曽義仲(きそよしなか)は、信濃国・木曽谷を本拠地として戦った武将です。彼が京都を目指して進軍したルートは、現在の中山道(なかせんどう)に重なります。
険しい木曽路を越え、近江へと至った義仲の行軍は、多くの伝説を残しました。長野県木曽町には「義仲館跡」、滋賀県大津市には彼を祀る「義仲寺」があります。
中山道を歩きながら、山々に響いた軍勢の足音を思い浮かべるのもまた、街道旅の醍醐味です。
弘法大師・空海|信仰の道を開いた僧侶
日本各地に「弘法大師伝説」が残るように、空海(くうかい)は“道”と深く結びついた人物です。
四国八十八ヶ所を巡る遍路道や、熊野へと続く熊野古道など、彼の足跡は“信仰の古道”そのものを形づくりました。
空海が修行や布教で歩いた道は、今も多くの人が巡礼の旅として歩いています。
和歌山県の熊野古道・中辺路(なかへち)には、古の行者が歩いた石畳が今も残り、心を静めながら歩くと、道そのものが祈りの空間であることを感じます。
徳川家康|五街道を整備した“近世の道の父”
最後に紹介するのは、徳川家康(とくがわいえやす)です。
天下統一を果たした彼は、江戸を中心に五街道(東海道・中山道・日光街道・奥州街道・甲州街道)を整備しました。
街道整備によって参勤交代や物資流通が活発になり、庶民の旅文化も広がりました。日本橋を起点に全国へ伸びるこの街道網は、まさに“現代日本の交通の原型”といえる存在です。
箱根関所や中山道の宿場町を歩くと、今もその名残を感じることができます。家康の「道を制する者が天下を制す」という思想は、現代のインフラ整備にも通じる先見性を感じさせます。
まとめ
街道には、英雄や文人、僧侶といった多くの人々の人生が刻まれています。
坂上田村麻呂の征討、義経の逃避行、芭蕉の旅、義仲の進軍、空海の祈り、家康の整備——それぞれの道には、それぞれの物語が流れています。
道を歩くという行為は、過去と今をつなぐ“体験”そのもの。
彼らの足跡をたどりながら歩けば、街道は単なるルートではなく、時を超える旅路として私たちの前に現れるのです。