東海道「日坂宿」を歩こう! 歴史とアクセス、見どころなど

日坂宿(にっさかじゅく)は、静岡県掛川市にある東海道五十三次の第25番目の宿場町です。東海道三大難所のひとつ、小夜の中山の西側に位置しています。本陣と脇本陣が1軒ずつ、旅籠屋が33軒と比較的こじんまりとした宿場町でしたが、現在でもその面影を残す貴重な街並みが魅力。

今回はそんな日坂宿の面影をたどりに行ってきた様子をご紹介します。

東海道・日坂宿(静岡県掛川市)

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日坂宿の基本情報とアクセス

▼日坂宿の基本情報

名称日坂宿
ふりがなにっさかしゅく
所在地静岡県掛川市
所属街道東海道(二十五番)
前後の宿場町金谷宿ー掛川宿

▼日坂宿(本陣跡)のマップ

日坂宿の歴史

鎌倉時代にはすでに存在していたと考えられています。「経覚私要紗」の中には、駿河宿の次に「西坂宿」と書かれています。大井川を超えた先にある金谷宿と、秋葉街道との交差点である掛川宿の間にある小さな町ですが、江戸時代には正式な宿場町として整備されています。東端から西端までの距離はおよそ700メートル、現在も町並みの形態はほとんど変わっていません。

日坂宿を歩いてみよう!

東海道・日坂宿(静岡県掛川市)

今回は日坂宿のお隣にある事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)を拠点に歩いたので、本陣とは逆側からスタートしました。近くには日坂バイパスが通りますが、宿場町自体は静かで広々としています。

途中には太田川系の二級河川・逆川(さかがわ)が通り、古宮橋がかかっていました。江戸時代には宿場町の出入り口に木戸と呼ばれる門が設置されることがありましたが、日坂宿は小さかったために、逆川が木戸の代わりを果たしていたようです。古宮橋のあるあたりは下の木戸、下木戸(しもきど)と呼ばれていました。当時は川幅も狭く橋は粗末な木橋で、有事の際には橋を落としていたと考えられます。

下木戸の隣にあった高札場は当時の大きさのまま復元されており、親子高札、吉利支丹(キリシタン)高札など、商人や農民に知らせるための高札であったことがうかがえます。

東海道・日坂宿(静岡県掛川市)
東海道・日坂宿(静岡県掛川市)
近くに日坂バイパスが通る
東海道・日坂宿(静岡県掛川市)
逆川が流れる
東海道・日坂宿(静岡県掛川市)
高札場跡
東海道・日坂宿(静岡県掛川市)
相伝寺

日坂宿の旅籠屋「川坂屋」と「蔓屋」

東海道・日坂宿(静岡県掛川市)

日坂宿には当時の様子を今に伝える旅籠が2つ残っています。ひとつは「川坂屋(かわさかや)」。逆川を少し上ったあたりにあり、公人も宿泊する大旅籠だったようです。もうひとつは川坂屋の道向かいにある「萬屋(よろずや)」。大畑語であった川坂屋とは対照的に、庶民の利用した旅籠だったとのこと。江戸時代末期(1852年)に大火で焼失しましたが、安政年間(1854年〜1859年)の早い時期に再建されています。

東海道・日坂宿(静岡県掛川市)
東海道・日坂宿(静岡県掛川市)

日坂宿の本陣「片岡本陣扇屋」跡

東海道・日坂宿(静岡県掛川市)

日坂宿の本陣は片岡本陣扇屋です。大火で焼失し、今は門だけが復元されています。中は芝生になっており、近所の方々がゲートボールをしていました。

事任八幡宮に参拝して御朱印もいただく

東海道・日坂宿(静岡県掛川市)

事任八幡宮は遠江国一ノ宮に数えられる古社です。「願いが意のままに叶う神社」として平安時代より信仰のあつく、清少納言の『枕草子』にも登場しています。御朱印とオリジナルの御朱印帳がありました。

東海道・日坂宿(静岡県掛川市)

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この記事を書いた人

YAMAMOTO Maaya

古道体験メディア「ノミチ」代表。長野県の観光WEBメディア「Skima信州」代表、全国の御朱印と神社仏閣紹介ブログ「ごしゅメモ」運営。道祖神石造物狛犬宿場街道滝ダムため池棚田神社仏閣好きな平成生まれの魚。

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