日本史の授業で江戸時代になると必ず登場するのが「参勤交代」です。参勤交代と聞くと大名行列が街道を歩く絵が思い浮かぶかもしれませんが、詳しく知らない方が多いかもしれません。
そこで本記事では参勤交代の目的や歴史、かかった日数や費用など雑学としても面白い参勤交代制度の実態をご紹介します。
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参勤交代とは?将軍と大名の主従関係の確認と軍役奉仕が目的
参勤交代(さんきんこうたい)は江戸時代に制度化されました。地方の大名が1年交代で江戸と領地それぞれを行き来し在住することが義務付けられた制度で、将軍と大名の主従関係の確認や軍役奉仕などの目的がありました。
参勤交代によって謀反が起きにくく社会は安定し、文化の交流や経済効果があったといわれています。一方で諸藩は財政負担が重く結果として財政難に陥り江戸幕府崩壊の要因のひとつになった側面があるといわれています。
参勤交代はいつから?実は鎌倉時代から
参勤交代は江戸時代に始まったと思っている人が多いですが、その起源は鎌倉時代まで遡ります。鎌倉時代の「大番役」という制度が参勤交代の原型で、大番役は諸国の武士が交代で鎌倉や京都の警護にあたる制度でした。
その後室町時代になると守護大名の謀反を防ぐために将軍に奉公するようになります。目的は守護大名の謀反を防ぐためで、この頃からのちの参勤交代と同じ目的となります。
戦国時代も室町時代と同様に各地の大名が大名や子息を周囲に住ませることがあり、豊臣秀吉は城を建てるたびに、城の近くに大名屋敷を構えさせて謀反を起こさせないように実質的に人質のようなことをしていました。
江戸時代に入ると各藩主が徳川家への主従を示すために自発的に江戸に出向くなどしていましたが、この頃は頻度や日数は自由でした。これを参勤交代としてしっかりと制度化したのが3代将軍徳川家光です。
幕府と大名の主従関係をしっかりさせたいと考えた徳川家光は、それまで自由に行われていた参勤交代を制度化することで主従関係を強固にし謀反を起こさせないようにすることを思いつきます。そして参勤交代は武家諸法度の「寛永令」に明記されることで義務のある制度となったのです。
参勤交代は1853年のペリー来航をきっかけとした各種規制緩和に伴いその回数が3年に1回となり、妻や子供は国元に帰れるようになりました。こうして幕府の権威は下がり、大政奉還と同時に参勤交代精度は無くなったのです。
参勤交代は誰が行うもの?当初は外様大名が、1642年以降は全大名が行った
参勤交代が制度化されたのは3代将軍徳川家光の時ですが、当時は外様大名(関ヶ原の戦いの後に徳川家に臣従した大名)のみが対象でした。
のちに全ての大名に義務付けられるようになり1642年から全ての大名が参勤交代を行うようになりました。
ただ江戸に常駐している水戸藩や老中、若年寄などは参勤交代の義務はありませんでした。また遠方の対馬藩や蝦夷地の松前藩は数年に1度だったといわれています。
参勤交代の本当の目的や狙いは?主従関係の確認と謀反を防ぐこと
参勤交代の目的には諸説あります。大名に経済的な負担を強いるため、軍任務を行うため、謀反を防ぐためなどがよく知られる目的ですが一体どれが本当の目的だったのでしょうか?
参勤交代の主たる目的は将軍と大名の主従関係の確認と謀反を防ぐことです。
将軍は大名に領地を与えることでその権力や統治を認めていました。そのお返しとして、もしくはさらに自分のことを信頼し認めてもらうために大名は参勤交代していたのです。江戸滞在中、大名は平時の軍役を務めていましたが、それも根本は主従関係の定期的な確認のためだったと言えます。
このような目的のある参勤交代なので初めの頃は、強制的に参勤交代させられるのではなく将軍にたくさん奉公し認めてもらうために自発的に参勤交代していた大名もいたようです。
読者の皆さんの中には学校で「参勤交代は3代将軍徳川家光によって制度化された。狙いは大名の経済力・軍事力を抑制・削減して幕府に反抗できないようにするためのものです。」と習った方がいるかもしれません。こうした説明は学校現場で一般的に定着しているものです。
しかしこうした説明は今日ではあまり正しくないと学術的にはいわれています。参勤交代が大名にとって大きな経済的負担となっていたことは各種記録から事実だとわかっていますが、これは参勤交代の結果であり制度が設けられた目的ではないからです。
結果として多くのお金がかかった点だけをみると「なんて無駄遣い!」と思うかもしれませんが、参勤交代は様々なプラスの影響も世の中に与えていました。
大名行列は毎晩宿場に泊まります。地方の宿場だと普段はあまりお客さんが来ず経済的に苦しい場所もありましたが、一説によると東海道にある宿場には参勤交代によって年間約1億4,000万円の経済効果があったといわれています。街道沿線の地域に経済的な潤いをもたらしていたんですね。
経済的な効果だけでなく、参勤交代によって江戸・上方の文化が地方に広がり、地方の文化が江戸・上方に持ち込まれた側面もあります。各地域の特産品や物産が江戸に持ち込まれ、人気になって全国に広まったものもあるそうです。
参勤交代の日数はどのくらい?片道数十日、江戸滞在1年
参勤交代の日数はどの地域と江戸を行き来するかによって大きく異なります。ここではわかりやすく京都ー江戸間の参勤交代についてみてみます。
参勤交代の大名行列は人数や天候にもよりますが、平均して1日に約40km〜43km進んだと言われています。江戸から京都までは約492kmあるのでかかる日数は問題なくいって約12日とわかります。
各種記録によれば止まる時間が長かったりトラブルがあったりすることも多かったようで、京都ー江戸間は約12日〜15日かかっていたようです。
ちなみに江戸に近い関東近郊の藩では2泊3日、遠国(薩摩藩など)では40日〜46日かかったという記録も残っています。3日と46日では同じ参勤交代でも大変さが全く違いますね。
参勤交代は江戸に到着して終わりではなく、大名は江戸で1年間暮らす必要がありました。大名は1年交代で江戸と領地それぞれに在住することが義務付けられていたのです。幕府の狙いは地方の諸大名を統制すること。領地に帰る際には妻と子どもを江戸に残さなければならず、これも謀反を防ぐ狙いがあったといわれています。
参勤交代の費用は?現在の価値で数億円!
参勤交代は多くの日数がかかるだけでなく莫大な費用がかかったと言われています。では一体、今日の費用にしてどのくらいのお金が掛かっていのでしょうか?ここでは詳細な記録が残っている鳥取藩池田家の事例をみてみます。
池田家は江戸から鳥取への移動21泊22日の行程で1957両かかったと記録しています。かかったのは足軽の給料や馬代、運賃、宿泊費、必要品の購入費など。
池田家が参勤交代した当時1両=十数万円と言われているので、現在の価値にすると約2億9,000万円ものお金が片道でかかっていたことがわかります。先ほどの薩摩藩は池田家の倍近く日数がかかっていたので、現在の価値にして5億円前後かかっていたと考えられます。
これを往復かつ1年ごとに行うわけですから諸大名にとって大きな金銭的負担となっていたことは間違いありません。
ちなみに神戸大学大学院の水谷先生の計算によると鳥取藩池田家の例では一行の行列規模を500人程度とすると、1日1人あたり2万7,000円程度(宿泊費・食事代込み)の費用だとわかります。
最後に-ノミチには知っておきたい日本史用語記事がたくさん!-
この記事では参勤交代について簡単にわかりやすく解説してきました。ノミチでは他にも日本史で知っておきたい重要単語や歴史について解説しています。ぜひ以下の記事もあわせて読んでみてください。
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参考資料
早川明夫, 参勤交代の狙いは?-「参勤交代」の授業における留意点-.
水谷文俊, 2006, 参勤交代 , 運輸政策研究, 8(4): 96.
小林明, 2021, 江戸から近い藩、遠い藩の日程・ルートを比べると…, nippon.com.
刀剣ワールド, 参勤交代.
歴史マガジン, 【参勤交代とは?】意外と知らない江戸時代の制度とその目的を知る.
大阪市立中央図書館, 2007, 参勤交代について, レファレンス協同データベース.
NHK for School, 参勤交代.