高島城(長野県)|諏訪湖に映る水城と、御城印・続日本100名城の歩き方

高島城(長野県)|諏訪湖に映る水城と、御城印・続日本100名城の歩き方 旅行・体験
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長野県諏訪市にある高島城は、「諏訪の浮城」とも呼ばれる水城です。

高島城は桜や紅葉と一緒に撮る天守が美しく、お花見スポットとしても人気。城内は公園として整備されているので、地元の方々の癒しスポットにもなっています。

特に春の桜、秋の紅葉は見事で、歴史と自然をあわせて楽しめる城跡として評価されています。

高島城とは?—湖とともに築かれた水城

https://www.city.suwa.lg.jp/uploaded/attachment/42174.pdf より画像引用

高島城は、諏訪湖畔に築かれた平城で、かつては湖水が城を取り囲むように広がっていました。このため「浮城」と呼ばれ、水上交通と防御の両面で重要な役割を果たしてきました。

現在の地図を見ると、市街地の一角に城跡が残っていますが、江戸時代には湖岸線が今より城側にあり、水運と街道が交わる要地だったことが想像できます。

現在の天守は復興天守ですが、史料や絵図を踏まえた姿で再建されており、高島城の象徴として親しまれています。

高島城の歴史・成り立ち—諏訪を治める拠点として

高島城(長野県)|諏訪湖に映る水城と、御城印・続日本100名城の歩き方
高島城(長野県)|諏訪湖に映る水城と、御城印・続日本100名城の歩き方

高島城を築いたのは、豊臣政権下で諏訪に入った日根野高吉とされています。その後、徳川家康の時代に入り、諏訪家が藩主として復帰。以後、高島城は諏訪藩の政治・軍事の中心として機能しました。

この地が選ばれた背景には、諏訪湖周辺が信濃と甲斐を結ぶ交通の結節点であったことが挙げられます。中山道や甲州街道に近く、湖を利用した船運も盛んでした。高島城は、単なる防御施設ではなく、地域全体を統治するための拠点だったことが分かります。

復興天守の内部は資料館となっており、諏訪藩の歴史や高島城の変遷が紹介されています。展示を見たあとに城外を歩くと、堀や石垣の意味が理解しやすくなります。

御城印と日本100名城スタンプのある場所は?

高島城は続日本100名城に選定されています。

スタンプ設置場所や御城印の取り扱いも整備されており、諏訪湖や天守を意匠に取り入れた御城印は、この城らしさが感じられる一枚です。

日本100名城スタンプは、天守閣内1階にあります。

  • 御城印1枚300円※原則1人1枚
    ※御城印を郵送での発送はいたしません。

桜と紅葉—季節で変わる高島城

高島城(長野県)|諏訪湖に映る水城と、御城印・続日本100名城の歩き方

春は天守周辺に桜が咲き、城と諏訪湖、遠くの山並みが重なった景色が広がります。

一方、秋には城内外の木々が色づき、落ち着いた雰囲気の中で散策が楽しめます。どちらの季節も、高島城が風景の中に溶け込む城であることを実感できるタイミングです。

まとめ—諏訪湖と重ねて歩く高島城

高島城(長野県)|諏訪湖に映る水城と、御城印・続日本100名城の歩き方

高島城は、派手さよりも立地と景観に強い特徴をもつ城跡です。

高島城 御城印 続日本100名城という視点で見ても、近世の城郭としての役割と、諏訪湖を中心とした地域の歴史が密接につながっていることが分かります。

桜や紅葉の季節に訪れ、湖岸や旧街道の流れとあわせて城を眺めると、高島城が「そこにある理由」が自然と伝わってきます。

諏訪には湖を軸に発展してきた町や道が残っています。高島城を起点に、周囲の歴史古道を歩いてみると、さらに立体的な諏訪の姿が見えてくるでしょう。

▼城跡のノミチ記事はこちら!

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