秋田県鹿角市が誇る近代産業遺産「尾去沢鉱山(おさりざわこうざん)」。
伝説では奈良時代(708年)に金山として発見され、奈良東大寺の大仏にも使われたといわれています。昭和53(1978)年に閉山するまでおよそ1300年もの間、金や銅を採掘した鉱山として人々の生活を支えてきました。
そんな尾去沢鉱山は昭和57(1982)年に「マインランド尾去沢」として、平成20(2008)年からは「史跡尾去沢鉱山」として坑道や採掘跡などを実際に歩いて見学できる学習観光地として生まれ変わりました。
そんな日本の3本指にも数えられた銅鉱山「尾去沢鉱山」の坑道を歩いてきた体験レポートをお送りします!
尾去沢鉱山へのアクセス|冬は幻想的な風景!
尾去沢鉱山へは車を使って向かいました。最寄駅は鹿角花輪駅。バスの終点である尾去沢から歩いて3、40分だそうです。
1月の厳冬期は雪に閉ざされているようにも見えますが、年中無休で営業しています。
営業時間 | 【夏季】 4/1~10/31 9:00~17:00 【冬季】 11/1~3/31 9:00~15:30 |
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定 休 日 | 年中無休 |
駐 車 場 | 駐車場(550台)を完備、ご利用料金は無料となっております。 |
史跡 尾去沢鉱山へ!
昭和っぽい建物が並ぶ中、同じくカラフルな建物でチケットを購入して中へ入ります。
個 人 | 20名様以上団体 | |
大 人 | 1,000円 | 900円 |
シニア(65歳以上) | 900円 | 810円 |
中・高校生 | 800円 | 720円 |
小 学 生 | 600円 | 540円 |
レンガ積みのトンネル、手前にはイメージキャラクターの「鉱太くん」。見れば見るほどかわいい。坑道内は通年13度程度に保たれているため、冬の格好をしていけば外よりもあたたかく過ごすことができます。
1周歩くのに40分〜1時間ほどかかるため、夏はあたたかい服装でお越しください!
総長800kmも続く坑道を歩く
トロッコ跡のある大きな坑道にはたびたび分かれ道があります。見学コースはほぼ1本道ですが、合わせると坑道の総延長は約800kmにもおよぶそう。このうち700kmは明治以降に掘られた坑道。それまでは手堀りで1日30cmずつ進むような、過酷な採掘作業だったようです。
1日30cmで100km・・・気が遠くなりそう!
ちなみに上写真に見えるつらら石は、100年に1cmほどしか成長しないのだそうです。さらに気の遠くなるような時間!
「銅脈採掘跡」シュリンケージ採掘法を使って
10分ほど歩くと、縦に長い空洞に突き当たりました。尾去沢鉱山の銅脈採掘には、シュリンケージ採掘法が使われました。下の坑道より脈に沿って採掘した鉱石を足場にしながら上向きに採掘する方法です。鉱石は岩層に沿って上下に伸びているので、鉱山にはこのような空洞がたくさんあります。
高さ30mほどの坑道は全部で15段あり、全高450mもあります。東京タワーより100m以上も高い空洞のちょうど真ん中あたりを通っていることに。スケールが大きすぎますね。
酒の貯蔵所としても活用中!
さらに奥へ進むと、これまでで一番広いエリアにたどり着きました。柵の向こうにはお酒やワインの棚がズラリ。坑道内は通年気温が安定しているため、お酒の貯蔵に最適なのだそうです。
端には鹿角市唯一の酒蔵、千歳盛(ちとせざかり)酒造の「地底の神秘」が熟成貯蔵されていました。せっかくなのでお土産に買って帰りましたよ。飲むのが楽しみ!
ヘルメットで記念撮影
貯蔵所の近くにヘルメットが置かれていたので記念撮影。鉱山に来た!感じがします。ちなみに鉱山の中はとても頑丈なため、崩落の危険性はほとんどないのだそうですよ。逆にいえば、そのくらい硬い岩を1200年も掘り続けた鹿角の人たちってすごい!
「標準」と「特別」の2コースあり
半分ほどのところまで来ると、道が2つに分かれていました。標準コースはあと15分、特別コースは30分の道のり。私たちは予定が詰まっていたので標準コースを選択しました。
ちなみにこれより人形の演出があります。暗闇で見つけるとリアルなので結構怖いかもしれません。
イルミネーションスポット発見!
鉱山見学ツアーもクライマックスを迎える手前に、突如としてイルミネーションスポットを発見。写真で見るより実際に見た方がきれいかもしれません。関係者さん曰く「特に紹介するものがなかった」という理由でイルミネーションが設置されたのかも?とのこと。
火薬庫は資料室に
旧火薬庫には当時の写真や資料、年表などが展示されていました。100%尾去沢鉱山産の銅板も真ん中に。鉱山だけでなく、そこで働き暮らした人々の様子も垣間見ることができます。
鉱山の中に?!南部藩西道金山奉行所
火薬庫を通り過ぎると、岩間に奉行所の提灯。こんなところに南部藩の奉行所があったのです。江戸時代、鉱山には鉱山ごとに決められた山法と呼ばれる法律がありました。当時は一般の法律に対しては治外法権に置かれた特殊な社会だったのです。
尾去沢鉱山の山法は「御敷内(おしきない)二十七ヶ条」と呼ばれ、「他の坑夫の持ち場を勝手に掘らない」「役人がつけた目印や封印を壊してはいけない」といった内容でした。これらを破ると厳しい処罰が定められていたのです。
一時は隠れキリシタンの隠れ蓑にも
幕府は1612年からキリスト教を禁じ、厳しい弾圧に乗り出しました。厳しい山法の定められていた鉱山でしたが、一方で一般の法律からは守られた場所であったことから隠れキリシタンとして潜伏生活を送る者も多かったのだそうです。山法を守る限り安全が保証されていた鉱山生活でしたが、1643年には取締りも苦しくなり、多くの信者が捕らえられて処刑されたと伝えられています。
所々に見られる「手堀り」の跡
明治時代には機械や爆弾を使って効率よく採掘を進めていました。しかしそれまでの採掘は手掘りで過酷さを極めていたことがうかがえます。見学コースの最後には、大きな坑道の傍に江戸時代以前の坑道跡がいくつも見られました。大きさは人が膝をついてしゃがんでやっと入れる程度。幅60cm×高さ90cmほどでした。
このように江戸時代の坑道が残っている場所は日本でも稀、今後も保存していきたい産業遺産です。
おかえりは校歌で!
約1時間の見学を終え、最後はエスカレーターでガッと上ります。こんなに下がっていたんだな〜気づかなかったな〜などと話していると、小学校らしい校歌の音が。
すぐ近くの尾去沢小学校の校歌なのだそうです。なんと作詞・北原白秋、作曲・山田耕作!理由は「お金があったから」。それだけ鉱山で潤っていた証拠とのこと。ちなみに60年ほど前、鉱山向こうの集落に住んでいた子どもたちの中には坑道を通学路にしていた子もいたのだとか。60年ほど前ならまだ現役。生活に密着していたことを改めて実感します。
尾去沢鉱山見学 まとめ|秋田県鹿角市
尾去沢鉱山を1時間見学してきた様子をご紹介しました。
鹿角市に来たら絶対に行ってみたかった場所なのでただただ興奮しっぱなしの1時間でした。鹿角の人々がいかに鉱山と共に生活してきたのかを知ることができます。
周辺には鹿角街道や三戸鹿角街道など古道も多い歴史あるスポット。皆さんもぜひ遊びにいらしてくださいね。
尾去沢鉱山
所在地:秋田県鹿角市尾去沢獅子沢13-5
公式HP:http://www.osarizawa.jp/
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