日本各地を結ぶ街道は人々の生活や文化に欠かせない存在でした。
街道は物流や人の移動、参勤交代といった重要な役割を果たし、現代にもその名残が各地に残っています。今回は、そんな「街道」に関する20の基本用語を初心者にもわかりやすく解説します。
五畿七道(ごきしちどう)
五畿七道は、日本の古代行政区分で、五畿(きんき)と呼ばれる京都周辺と、七道(しちどう)と呼ばれる主要街道に沿った地方を指します。この区分は、交通網の発展にも影響を与え、街道の原型となりました。
律令制(りつりょうせい)
律令制は、日本の古代に導入された法律制度で、主に7世紀から9世紀にかけて施行されました。
この制度は、天皇を中心にした中央集権的な政治を確立し、国の統治や税制、土地制度を整える役割を果たしました。律令制は、平安時代以降の日本の政治体系の基盤を形成し、その後の街道や交通網の発展にも影響を与えました。律令制に基づく交通制度は、街道の整備や宿場の設置など、江戸時代の社会構造にも引き継がれました。
五街道(ごかいどう)
五街道とは、江戸時代に整備された五つの主要な街道を指します。
具体的には、東海道、中山道、甲州街道、日光街道、そして奥州街道の五つです。これらの街道は江戸(現在の東京)を中心に、日本の主要都市や地域を結び、交通網の大動脈として機能しました。五街道は大名行列の通行、物資の運搬、庶民の旅などに利用され、多くの宿場町も栄えました。
宿場(しゅくば)
宿場とは、旅人が休息や宿泊をとるための施設が整った街道沿いの集落を指します。
江戸時代、多くの人々が長距離を移動する中で、宿場は非常に重要な役割を果たしていました。宿場には宿泊施設の他、飲食店や馬を交換する場所などがあり、交通や物流の中心地となっていました。
本陣(ほんじん)
本陣は、宿場に設けられた身分の高い旅人が宿泊するための施設です。
主に大名や幕府の役人が利用しました。参勤交代などの際に本陣が使用され、規模も大きく、格式の高い建物であることが多かったです。
脇本陣(わきほんじん)
脇本陣は、本陣が満員だった場合や、より身分の低い武士などが利用するための宿泊施設です。本陣ほどの格式はありませんが、脇本陣も立派な施設であり、重要な旅人の宿泊に使われました。
問屋場(といやば)
問屋場は、宿場で人や荷物を運ぶための馬や人足を手配する場所です。旅人が荷物を運ぶ際には、ここで必要な手配が行われました。街道の物流管理を担っていたため、問屋場は街道の交通の流れを支える重要な役割を果たしました。
高札場(こうさつば)
高札場は、幕府や地方の領主が法令や通達を掲示する場所です。街道の主要な交差点や宿場に設置され、旅人や住民に向けて重要な情報を伝える役割を果たしました。
関所(せきしょ)
関所は、街道の要所に設置され、通行人や物資を管理・取り締まる場所です。
江戸時代には「入鉄炮に出女」(いりでっぽうにでおんな)という言葉があり、鉄砲の持ち込みや女性の無断出国が厳しく取り締まられていました。特に有名な関所には、箱根関所や新居関所などがあります。
入鉄炮に出女(いりでっぽうにでおんな)
これは、関所で特に厳しく取り締まられた鉄砲の持ち込みと女性の無断出国を指す言葉です。
江戸時代、幕府は国内の武器の流通と、女性が勝手に領地を離れることを厳しく管理しました。この厳しい取り締まりが、関所の役割の一つでした。
陣屋(じんや)
陣屋は、地方行政を行うための役所で、大名や幕府の役人が滞在する場所としても利用されました。
陣屋には、役所としての機能だけでなく、仮宿や執務の場としての役割もあり、地方統治に重要な役割を果たしていました。
追分(おいわけ)
追分は、街道が分岐する地点のことです。複数の道に分かれる場所であり、旅人はここでどの道に進むかを選ぶ必要がありました。
例えば、長野県の「信濃追分」は中山道と北国街道が分岐する地点として有名です。追分には道標が立てられ、旅人に進むべき方向を示していました。
一里塚(いちりづか)
一里塚は、街道の距離を測るために1里(約4km)ごとに設置された塚です。
この塚は、旅人が自分の進んだ距離を確認する目印として機能しました。一里塚には、目印として松や榎(えのき)などの木が植えられていることが多く、現在でも一部が保存されています。
渡し場(わたしば)
渡し場は、川や湖などの水域を渡るために、船や筏(いかだ)が利用されていた場所です。
橋がない大きな川では、渡し船が運行され、旅人や物資が川を越える手段として使われました。特に東海道沿いの「大井川の渡し」は有名で、川を渡る際には追加料金が必要でした。
道標(どうひょう)
道標とは、街道の交差点や追分に設置された標識で、旅人に進むべき方向を示す役割を果たしていました。
石碑や木の柱に目的地の名前や距離が記されており、現在でも一部の道標は歴史的遺産として保存されています
参勤交代(さんきんこうたい)
参勤交代は、大名が領地と江戸を定期的に往復する制度です。
この制度により、街道は定期的に大名行列が行き交い、その整備が進みました。参勤交代は、江戸時代の政治制度と密接に関わる重要な仕組みでした。
お伊勢参り(おいせまいり)
お伊勢参りは、伊勢神宮への参拝を目的とした巡礼です。
江戸時代には、庶民の間で一生に一度は伊勢神宮を参拝することが理想とされ、多くの人々が長距離を旅しました。街道はこのような巡礼の旅にも利用されました。
大名行列(だいみょうぎょうれつ)
大名行列は、江戸時代に参勤交代などで大名が江戸と自領を行き来する際の一大イベントでした。
大名をはじめ、その家臣や使用人が長い行列を作り、武器や荷物を持った従者たちが続く姿は非常に壮観でした。行列の規模は大名の権威を示すものとされ、宿場町を通るときにはその豪華さに多くの人々が注目したといわれています。
無礼打ち(ぶれいうち)
無礼打ちは、江戸時代において、身分の高い武士が自分に対して無礼な行為をした庶民をその場で切り捨てることを許された制度です。
街道を歩く大名行列に対して、一般人が無礼を働いた場合、無礼打ちが行われることもありました。これは武士の特権であり、庶民にとっては命を失う危険を伴う出来事でしたが、実際には極端に乱用されることはなかったといわれています。
おくのほそ道(おくのほそみち)
『おくのほそ道』は、江戸時代の俳人、松尾芭蕉が日本各地を旅して記した紀行文です。
特に東北地方や北陸地方を巡った旅の記録で、街道や風景が詠まれています。現在でも『おくのほそ道』のルートを巡る旅行は人気です。
街道用語20選 まとめ
江戸時代以前の街道は、重要なインフラでした。
物流や人々の移動手段として機能し、政治や文化、宗教的な影響も受け、街道沿いの宿場町や関所などが発展しました。今回紹介した20の用語を理解することで、江戸時代の交通システムや人々の暮らし、さらには旅の風景がより一層リアルに感じられるのではないでしょうか。
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