「つれづれなるままに、日ぐらし硯に向かひて──」という書き出しは、日本の古典文学の中でもとくに親しまれてきた冒頭です。
徒然草は、説教や教訓を押しつける作品ではなく、人の心の動きや日常の違和感を、肩の力を抜いて書き留めた随筆として知られています。
この記事では、徒然草の冒頭文を中心に、原文・現代語訳・一文ずつの解説、さらに平家物語・方丈記との違いまで整理し、初めて読む人でも理解できるように解説します。
徒然草とはどんな作品?

徒然草は、鎌倉時代末期に成立した随筆文学で、全二百四十三段からなる断章形式の作品です。
作者は、吉田兼好(よしだけんこう)で、官人として宮廷に仕えたのち出家した人物として知られています。
徒然草には、人生訓や人間観察、当時の風俗、仏教的な考え方などが断片的に書かれており、順番に読まなくても成立する構成になっています。この「まとまりのなさ」こそが、徒然草の大きな特徴です。
徒然草【冒頭原文】全文
つれづれなるままに、
日ぐらし硯に向かひて、
心にうつりゆくよしなしごとを、
そこはかとなく書きつくれば、
あやしうこそものぐるほしけれ。
徒然草【現代語訳】意味を簡単に解説
することもなく手持ち無沙汰なまま、
一日中硯に向かって、
心に浮かんでは消えていく取りとめのないことを、
特に考えもなく書きつけていると、
なんとも言えず妙な気持ちになってくるものだ。
要するに、暇な時間に思いついたことを、深い意味もなく書いているだけだ、という自己紹介が、この冒頭で語られています。
「つれづれなるままに」一文ずつ意味を解説
つれづれなるままに
「つれづれ」とは、退屈で手持ち無沙汰な状態を指す言葉です。
ただし、ここでの「つれづれ」は否定的な意味ではありません。何か生産的なことをしていなくても、人は考え、感じ、思いを巡らせる存在であるという前提が置かれています。
心にうつりゆくよしなしごとを
「よしなしごと」とは、特別な意味や価値のないこと、取りとめのない話を意味します。
徒然草では、立派な教訓や結論を語るのではなく、あえて価値がないように見える思考を書き留める姿勢が示されています。
あやしうこそものぐるほしけれ
ここで使われている「あやし」は「不思議だ」「妙だ」という意味です。
取りとめのないことを書いている自分自身を、少し距離を取って眺め、「これは少しおかしな行為かもしれない」と自覚する視点が含まれています。この自己客観性が、徒然草の文章全体を支えています。
徒然草が伝えたい人生観・人間観
徒然草が一貫して示しているのは、「人は不完全でよい」という人間観です。
立派であること、正しくあることを過度に求めず、欠点や矛盾を含んだ人間そのものを面白がる視点が随所に見られます。完璧を目指すのではなく、違和感や失敗も含めて人生を眺める姿勢が、徒然草の根底にあります。
方丈記・平家物語との違いを比較
徒然草は、無常という点では方丈記や平家物語と共通していますが、語り方が大きく異なります。
平家物語が歴史や権力の盛衰を描き、方丈記が個人の人生や住まいの変化を見つめているのに対し、徒然草は日常の中の人間らしさに目を向けています。
大きな事件や劇的な変化ではなく、些細な行動や考え方の癖にこそ、人生の本質が表れるという立場です。
なぜ徒然草は今も読まれるのか?
徒然草が現代でも読み継がれている理由は、「正解を示さない」点にあります。
こう生きるべきだ、こう考えるべきだという結論を出さず、考え続ける姿勢そのものを肯定しています。SNSや情報過多の時代において、結論を急がず、違和感を抱えたまま立ち止まる視点は、かえって新鮮に映ります。
学校の授業・テストでよく出るポイント
冒頭文では、「つれづれ」の意味や筆者の心情を問われることが多くあります。
「暇だから仕方なく書いている」という消極的な理解ではなく、「意味のないことを書く姿勢そのものに価値がある」と説明できると評価が高くなります。
まとめ|徒然草は「人間らしく生きる」ための随筆
徒然草は、無常を嘆く作品ではありません。
変わり続ける世の中で、人がどのように考え、迷い、揺れ動く存在であるかを、そのまま受け止める文学です。歴史の無常を描いた平家物語、人生と住まいの無常を描いた方丈記とあわせて読むことで、日本人の価値観が、より立体的に見えてきます。
▼古典文学のノミチ記事はこちら!




