飛鳥時代から江戸時代まで、街道の要所に設けられていた「関所」には、「入鉄炮に出女(いりでっぽうにでおんな)」を取り締まる役割がありました。
関所ではすべての旅人がチェックを受け、通行の許可をもらう必要があります。
中でも「入鉄砲に出女」は厳しいチェックの対象となっていたのです。
「出女」たちがどんな風に取り締まられていたのかも気になるよね!
今回はそんな「入鉄砲に出女」とは何か、また実際どのように取り締まられていたのかなどを分かりやすく解説します。
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入鉄砲に出女とは?
「入鉄砲に出女」とは、「入鉄炮」=江戸に入ってくる鉄砲(などの武器類)と、「出女」=江戸から出ていく女性のことです。
江戸に武器が集まると謀反の恐れがあるため、取締りの対象でした。
また江戸から出ていく女性は大名の妻や娘の可能性があり、人質の役割があるため同じく取締られていました。
謀反を企んでいることが分かると江戸で人質となっている家族は殺されてしまう恐れがあるため、事前に脱出させていることが少なくありません。
幕府の安寧を脅かす「謀反」を防ぐために、「入鉄砲に出女」を厳しく取り締まる必要があったんだね!
女性が関所を通るには「手形」が必要だった
そもそも女性が関所を通るためには「女手形」と呼ばれる通行許可証が必要でした。男性は必要ありません。
女性のひとり旅はほぼあり得ないので不審がられ、より厳しくチェックされたようです。
また中には男装をして関所を抜けようとする女性もいたため、「あらため女」と呼ばれる女性が身体チェックを行うことも。
関所破りは死罪!厳しすぎるルール
わざわざ関所を通らずとも、脇道から関所を超えてしまえば良いと思われるかもしれません。
しかし関所破りの罪は重く、磔(はりつけ)、つまり死罪となってしまいます。
重すぎる刑ですが、こっそり関所を抜ける者たちも少なくはなかったよう。リスクは伴いますが、通行止めを食らうよりはマシな場合もあるかもしれませんね。
刑が重すぎたからか、260年続いた「関所破り」の罪で死罪になった人は多くないありません。たとえば箱根関所では累計6件、新居関所では2件でした。
山道で発見されても「たまたま道に迷った」と処理されることも多かったんだって!
入鉄砲に出女 まとめ
入鉄砲に出女の意味や具体的な取締まり方などを解説しました。
江戸の安心と安全を守るためにつくられた「関所」と取締りのルールが、260年という長い歴史を刻んだ所以のひとつなのかもしれませんね。
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